かもしれないブログ

月一更新です。

考えてみると

人生のどこかで解決すべき課題を、解決せずに放置していたとして、それでその課題なり問題なりが消えることもあれば大きくなることもある。

で、何かの拍子にそれが浮上したとして。そうなると当然周囲にも影響が出るけれど、そこで周囲が被る被害的なことは、結局その人その人の何かが反応して出ているに過ぎないってこともあるんではなかろうか。

それを上手く解決できる人もいれば、それに手を焼く人もいて、反応の出方も様々だとすると、その引き金を引いたのは別の人であっても、結局は個々がどうにかするしかないような気がする。

 

というようなことを考えてみた。

 

あと、最近自分の口癖が「結局」とか「要するに」みたいなことになってる。

何かの性格判断でこの口癖の人の傾向云々というのがあったような気がするけれど、面倒なので調べないでいる。