人には色々な顔がある。
一人の人間にも色々な顔がある。
例えば、仕事場で会う人は、仕事場だけでなく、家での顔もある。
仕事場での顔、家での顔、友達の前での顔。
役割。
普段、仕事場だけで会っている人には、仕事の顔しかないように思えるけれども、実際は違う。
僕は、それを忘れがちだ。
家には、その人が使うテーブルが在り、寝床が在り、テレビがあり、冷蔵庫があり。
そういった事は、普段意識する事が無い。
仕事と家とを区別させたい、という気持ちもあるかもしれない。
人には一人一人それぞれの人生があって、自分もそう。
自分には、どこか人を上から見下ろしたいというような意識がどこかにあり、それが問題になっているように思う。
石井ゆかりさんの、射手座についての話の中に、そういうような話があった。
宇宙の中でその人は、女になっていると捉えるか、
その人の中に、一つの宇宙がある、と捉えるか。
前者の場合に、問題が起きやすくなる、というような内容だった。
今いる仕事場の自分のポジションは、だいたい2〜3年で人が入れ替わっているらしいけれども、
自分もやはりそうなっていく流れになりつつある。
もともと、そういう意識でやってきたのだから、さもありなん、だけれども、
やはり、最初のそれに対する姿勢、捉え方は、後々まで影響するように感じた。
自分は、おそらくこうなる事を望んでいたのだ。
そして、チームに打撃を与えたいというか、そういう気持ちがどこかにあるように思う。
それは、高校の時の部活と同じ道順。まったく同じ道順なのだ。
自分は、自分は。自分だけは違う。
そういう気持ちでやっていると、チームとして取り組むには親密さに欠けるというか、
問題を起こしがちになる。
しかし、自分の中のこの思いは、一体何なのだろう。
いつから、どこからこの思いを持つようになったのだろう。
自分だけは違う。
部活でも、クラスでも、そして今の仕事場でも、自分の中にある意識、考え方は変わっておらず、
そのために、自分にも周りにもよろしくない感じになってしまっている。
実際、この気持ちを持ち続けるという事は精神衛生上大変よろしくなく、辛いものなのだ。
なのに、何故、自分はこうもこうなのだろう。
何か、あったのだろうか。
それが分からないのだ。
あぁ、自分と言うものが抱える問題、
どういう時にこの問題が頭をもたげるか、
というよりも、自分の問題はつまりいつもこの形をとっており、
先が見えない(見えなくて不安)な状態になると、この形で悩む、という態度で一定の安定を図っているのだろうか。
自分の精神を不安定にするのではなく、ある問題を抱える事でそれを重しとして利用しているのだろうか。
先が見えなくても、別にいいや、という時はこの問題は出てこない。
今の自分は、ともに暮らしたい人と暮らせているし、特に不満があるわけでもない。
ただ、この先これからもずっとこの生活が維持できそうにもないこと(物理的に不可能なのだ)
で、そういった自分に過度な期待をかけないよう、周囲に伝えているのかもしれない。
そういった態度をとる事によって。
または、自分の意思伝達能力が低いため、自分の不満、思いをこういった形でしか表現できていないのではないだろうか。
問題がある時に、それに対する具体策・解決策を申し入れようにも、過去にそれが却下された(と自分は認識している)記憶があるため、もはやそれを繰り返し申し入れるよりも、という態度に出るように思う。
そうすることでしか、自分の存在、自分の思いをアピールする事ができない。
自分は器用に生きられるタイプではないし(他人にこれを指摘されると酷く動揺するのでおそらく間違いない)、ここから先は、自分の思いをもっと的確に、伝えられるようにできればなぁと思う。
つまり、自分は自分自身、何を伝えたいのかそれを確認したいのだ。
そういう事を考えた。
それにしても、いま居る職場は人の入れ替わりが激しいが、みんな平気なのだろうか。
頭がおかしくはならないのだろうか。
僕は、もう既に多くの人との出会いと別れをこの2年間と言う短い間に経験し、正直頭がおかしくなっているような気がする。
他の人は、どうなのだろうか。
大丈夫なのだろうか。
他の人が大丈夫で、僕は大丈夫じゃないとしたら、僕と彼らの何が違うのだろうか。