血税・お金の本質。
以前、お金の性質について考えた。
お金は、情報・言葉としての側面がある一方で、
でも実際は血であり、肉ではないか、と考えた。
でも、その考え方はもう既に日本語として生きていた。
「血税」という言葉がある。
お金を出す、という事は、血を流すという事だという考え方があるらしい。
そう、血税って言葉を何で忘れていたのだろう。
毎月・毎月・税を徴収されてるというのに、
何で気が付かなかったのだろう。
ケツゼイを変換すると、一発で「血税」と出るじゃないか。
日本は海外の危険な地域に対して援助に人は出さないが、金は出す。
と言われたことがある。
でも、それも金を出しているんだから、イコール血を流している
という事だいう考え方も出来る。
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自分の書く文章は、
自分が読んでみても、誤字脱字も多く、文章の流れ自体がガタガタだ。
自分が読んでそうなのだから、他の人が読んだらさぞ読みづらいだろうな、と思う。
何せ、思いついたことをポンポンと書いて、校正・読み直しをせずにアップしているからだ。
きれいな文章・きれいな言葉。
でも、それだけではない、人間の持つ部分もあって、
それを隠すというか、無いかのように表現するのではなくて、
それを認めた上での文章。そんなものが書ければなと思う。
それを隠すことと、無視することは違う。
だから、無視した文章は、どこかにそういう軋みみたいなのが現れるんじゃないだろうか。
僕が読みたいのは、きれいに装飾された着飾った文章ではなく、
生の人間が書いた、それでいてそれを超えようとするというか、そういう人間が見える文章が読みたい。
自分が考えた事は、すごい発見のように思える。
自分の場合の「お金と血」の事に関してもそうだ。
実際は、もう既にすべての考え方は出し尽くされているのかもしれない。
でも、それも意識下にあるものを表に出してみて、
それを自分で見てみて、
世の中を見ると、それは実際にある、と。
そんな事、知ってたよ。
そんな事、知ってるよ。
と言われるかもしれない。
でも、それでも前に進めているんじゃないだろうか。
少なくとも、自分の中に何があったのか
自分が何を考えどう表現できるのか
という部分は分かるし、
それを表に出していくことで、次に考える事、思う事に進めるような気がする。
最近は、
ドストエフスキーの悪霊と
坂口安吾、
黒柳徹子、
を読んでいる。
それらを組み合わせてなにが出来るか、何も出来ないか。
- 作者: ドストエフスキー,江川卓
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人の入れ替わりが激しい。
人の入れ替わりが激しいと、
また一からはじめないといけない。
教えないといけない。
そのために、どれだけのコストがかかっているのか。
これは、いま居る仕事場に関してもそうだし、自分自身に関してもそうなのだ。
自分自身に関しては、そういう環境を見つけ出す才がある、というか、
もっとよい環境を嗅ぎ出す能力に欠けているのだろうと思う。
うちに来ないか、と言われて、そこへ行ったとしても、
自分の中にある何かがある限り、それは続くような気もする。
問題は、放っておくだけでは解決しない事(人間の目で見る原発問題など)
と、
放っておいたら、環境自体が変化して解決しました
って事もある。
自分の場合は、後者だろうか。
水星は足が速い星らしく、そしてまた順行・逆行を短期間に繰り返す星らしい。
いまの自分は、まるで水星みたいな感じだなーと思った。
多分、シフト勤務のせいだと思う。