雑感。
同じ商品を見る時にでも、それを単なる商品として見るか、作品としてみるかの違いがあるように、
それと同じよう事は、色々あると思う。
例えば、人と接するときに、自分が相手に、相手が自分に接する時に、
その人のクセと言うのがあると思うのですが、
その癖を、他人が直すことは難しいのです。
というよりも無理なのです。たぶん。
相性という者があって、
そこから何かを掘り出せることもあると思うし、
そうでないこともあると思います。
骨董の世界では、月謝を払ってなんぼだそうで、
これは、人と接する場合も同じじゃないでしょうか。
どれが本物で、どれが贋作か、本当の所は誰にも分からないわけで、
大方としては、こうというような見方で決めているそうです。
ならば、贋作には価値が無いかと言うと、そうとも言えず、
結局その人がいいと思ったものが、その人にとっていいもので、
他人に勧められて買ったものは、たとえそれが本物であったとしても、
そこから何かを得られるというのは、あまりないそうです。
しかし、骨董に関しては、贋作云々いうのは、
買いもしないで云々云うのが、その行為自体が偽物だという考え方もあるそうで、
だから、結局そこには、そこに関わる事を選んだ人のみが知り得る世界があって、
だから、そこでは答よりも問い方が問われるのだと思いました。
どのように問うか、どのような方面からどう切り込みを入れ、
どんな切り口を作るのか、
その事で、同じことでも色々な面が見えてくるのだと思うのですが。
その人の所有物、
その一つ一つに物語があると思うのです。
その人に固有の物語があると思うのです。
それは、その人だけのものです。
他の人は、それと似たような物語のあるものをもっているかもしれません。
それが通じた時は、嬉しいのだろうなぁという気がしました。
人にはそれぞれ生活がありますが、
自分は意外とそれに無頓着です。
しかし、
相手の生活をどうこう思うのは、おこがましく、
だから自分の生活を大切にしていくのです。
相手に甘いのは、自分が甘いからだという考え方があるらしいのですが、
自分は、それでいうと
かなりの甘ちゃんかもしれんなぁと思ったのでした。