かもしれないブログ

月一更新です。

ハッピーフライトを観た。

こないだ、テレビで『ハッピーフライト』を観ました。

実は昨年、市内のレンタル屋さんでDVDを借りていたのですが、結局一週間の間に観る事ができなくて

そのまま返していたのでした。

題名からして、自分としては何か抵抗があったのかもしれません。

あまり前向き(な感じがする)な映画を観ようという気持ちがなかったのかもしれません。

あったけれども、それを借りただけで満足してしまっていたのでしょうか。

それで、こないだ、家のテレビでそれを観たわけですが、

感想としては、やはり

いい映画だったなぁ、という事に集約されます。

一流とかプロとか、そういうのを毛嫌いしながらも、それに憧れるというか、

そういう気持ちがあると思いました。

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26日には、武術の講習会へ行く予定なのですが、

これが開催されるのが福井県立大学でして、

ここは、自分が前の会社で働いていた時に、行ったっきりでして、

何とも自分が今度はこういう形であそこへ行く事になるとは、

まったく人生は分からないものです。

それにしても思うのは、

仕事に対する姿勢ですとか、

熱意ですとか、使命感ですとか、そういう自分が心底苦手としているフレーズが、

自分の中に確かに存在する事でして、

そういうものがあると感じられたことは、良かったのかもしれません。

ここまでくる間に、色々な職場で色々な人の働く姿勢を見てきたこと、

自分の性質もそうですが、

何かそういう事が、自分の中にあり、

それが繋って何か、自分の活動の根源になっているような気がします。

2年前(正しくは4年前ですが)と、今現在で大幅に違っているのは、

前回は、もうヘトヘトになるまでやっていた事と、

私生活でのストレスもあって、ボロボロだった事。

やる気・モチベーションというものが皆無だったこと。

前途洋々でスタートを切ったと感じていた、そういう始まりだったこと。

全てをそれに決めていたこと(じぶんは、赴任地で骨をうずめる覚悟でした)。

そして、なにより自分は勝負に勝ったと思っていたこと。

学ぶ姿勢が足りなかった事(当社比)

でしょうか。

今は、それとはほぼ逆の状態になっていまして(部分的には違う個所もあるかもですが)、

それで、何かにつなげていければなぁという感じがしています。

働くのはあれなのですが、かといって、

働くのが完全にあれなわけではなく、自分の成分としては

かなり怠惰であり、頑固であり(かたくなであり)、我が強く負けず嫌いであり、

かといって、自信が無く(自己評価が低いなど)、

そして、選ぶ能力に劣っているように思うのですが、

その性質が分かっただけでも前進だったのかもしれません。

道が悪くても先に進まなきゃいけないし

どちらが正しい道かわからなくても選ばなきゃいけないし

行きづまって引き返さなければならないこともあるし

上から岩が落ちてきて頭を打ってもだえることもあるし

おいしそうなきのこを食べて毒に当たって悶絶することもあるし

その悶絶がきっかけで、素敵な人に優しくされたりすることもある。

ころぶことも、立ち止まることもある。

怖くて動けないこともあれば、何かから逃げ出すこともある。

旅に出たことを後悔することだってある。

しばらく一つの街に滞在することもあるし

ある街に着いたとたんに、たたき出されることもある。

でも

どの街もどの道も、たぶん「まちがい」じゃないし

出会う泥棒も親切な人も、みんな必死で生きている。

自分で歩いてきて出会った人々だから

何をされても、最終的には

憎んだり恨んだりできない。

旅だから、

いつかはその場所を離れなければならないし

どんなに好きな人とも、いつかはさよならしなければならない。

石井ゆかりさんの日記です。


だから、前に進まないといけないのです。

戦わないといけない。

もう駄目だと思った時に、生物の能力はガクンと落ちるそうですが、

思ったら、それはそれでガクンとギアを落とすのも在りだと思うのです。

以前の僕がそうしたように。

吸収する事、出来る事はまだたくさんあったのです。

2年前、何でもやった方がいい、

とある方に言われて、自分は活動を始め、

そして本を読み、働き、出かけ、遊びました。

その一言にそれだけのエネルギィがあったのでした。

その一言に押されて、自分はいま此処に居るのでした。

それがなかったら、その一言がなかったら、

自分の活動、労働を通しての喜怒哀楽や、

読書を通しての吸収や、出かけたり、もあったのでした。

その一言だけでなく、自分を支えるものは、

家族の存在であったり、職場の人であったり、地元の友人であったり、

もするわけですが、

物事の初速といいますか、

ピタゴラスイッチの、初めの力は、それだったように思います。

物事を拾い集める際の、最初の一歩。

前回は、本当に自分の中の何かがいっぱいになったというか

伸びしろが見つからなかったか、それともスッカラカンか、

とにかく、見つからなかったのでした。

そういう時って、あると思うのですが。

それが、まぁ今回はまた別の形でそれがあるかもしれないのですが、

自分の能力と言うか、そういうものを前回よりは若干正確に見れるようになっている(と良いのですが)

という事だったりするわけです。

自分の周囲の状況を見渡すと、前とは当然変わっておりまして、

家族は皆年をとりましたし、

更に目を広げると、そこでは前とは大きく違っている事だったり。

それに対して活動している人も沢山います。

人生を式に表すとするならば、

色々な要素が絡んできて、

自分自身の力ではどうすることも出来ない事がたくさんあると思います。

僕なんかは、まだまだそういうものを経験せずに来ておりまして、

若干この先が怖くもあるのですが、

そういうものに対して、対峙していく、それ自体を取り込んでいく

或いは、他人のそれまでも面倒をみていく

という人もいるのです。

そして、自分もその人と同じ 人 なのです。

それを考えた一日でした。

2年前、

そのある人の家に行った折、

青山二郎という人の本があったのですが、

白洲正子の本を辿っていくと、

自然とそこに行き着きました。

それが今日でした。

今日は、新月

そういう部分は、

何かつながっているような気がします。

自分は、生れた時のホロスコープに火の要素がかなり多いらしいのですが、

それを有効に使って、

何かできればなぁと思います。

脳と仮想

脳と仮想

金平糖の味 (新潮文庫)

金平糖の味 (新潮文庫)

安定するためには、不安定を取り除けばよい。
全体を落ち着かせるためには、
骨格を重く堅く強く太くすればよい。
つい、私たちはそう思いがちです。
でも、実は、そうではなかったりします。
二足歩行ロボットが自ら、転びそうになると立て直せるようになったのは
「転びそうになったら、その、倒れそうな方向に自ら倒れ込む」
というふうにしてみたときでした。
人間は、倒れそうになると、
倒れていく側に足を出します。
後ろに引き戻すのではなく、更に前に倒すのです。

(石井ゆかりさんの文章です)



だから、生活していく、

戦っていく。

そういう事が求められた際に、

応じられるように。

今は、この家で過ごす時間を大切に、

やっていくのだろうと思うのです。