かもしれないブログ

月一更新です。

本を読んだ。

やっとヒーターを使い始めました。

最近読んだ本。

悪霊 (上巻) (新潮文庫)

悪霊 (上巻) (新潮文庫)

悪霊 (下巻) (新潮文庫)

悪霊 (下巻) (新潮文庫)

ドストエフスキーの作品。他の作品と同様に登場人物が多い。

量的には、村上春樹さんの『1Q84』より少ないはずだけれど、大変読み難かった。

一人の人間に複数の呼び名があり、呼び名が頻繁に変わるので相関図を書き出さないと、何が何やら分からなる。

一日で読み終えられる作品でもない為、一度休憩を入れると前の場面を忘れてしまいかねない。

だけれど、登場人物の一人一人を丁寧に描かれているので、内容さえ把握してく事が出来れば決して退屈な作品ではなかった。

『悪霊』では、訳者の江川卓さんが解説文において
「『悪霊』の真の悲劇性は、この(ロシアの桃太郎というべき)イワン皇子がついに出現しない点にあった」
と言われている。

カラマーゾフの兄弟』も、同様にほぼ全員悪人でしたが、ゾシマ長老に学んだ末っ子のアリョーシャがいわば桃太郎のような存在であったかと思う。『悪霊』にはそれが無く、本当に救いの無い話だった。


人が沢山亡くなる事(殆ど犬死に的なものも含めて)、登場人物のそれぞれが詮索し合い、足を引っ張り合い、抜け駆けしようと企んだり、それを阻んだり。

実際のそれも、また同じような事か、場合によるとそれ以上かとも思うけれど、

兎に角、その先が殆ど読めないまま、次々にイベントが起こる。

物語は、「わたし」が読者に語りかける形で始まるが、この「わたし」が一体何者なのか。

驚いたことに、「わたし」の名前は作中一度しか出てこなかった。

出てくる男がほぼ全員救いようも無いような愚か者で、彼らが取る行動の一つ一つが場合によると滑稽でありながら悲劇的。

その愚かな悪人ばかりを登場させたことで物語に深みが出てきているのだろうか。

作中、他人を助けに入ったり、説教したりする人物がいないまま物語は進む。

僕の感想としては、これまで読んだ『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』よりも読みごたえがあり、

また心に残る部分がありました。

登場人物が多く、物語の大凡の全体像の把握に時間が掛かりましたが、読んでよかったと思える作品でした。