かもしれないブログ

月一更新です。

最近気付いた事。6月の事。

気が付くともう6月も下旬と言うか、

殆ど月末!吃驚!みたいな感じです。

月初めに、「今月は15冊本を読もう」と決めていました。

どういう本を読めたのか、感想と共に振り返りたい。


以下少しネタばれ有り〼。


こころ (新潮文庫)

こころ (新潮文庫)

中学校だったかの時に、国語の授業で読んだ作品。

教科書に載っていたのは、作品のごく一部で、全体を通して読んだのは今回が初めてでした。

活字を読むのが億劫になっていた時、ふと目に留まったので読んでみました。

読みやすい。

読書に行き詰った時、この本に立ち返れば、何かそういうスランプ的なものから抜ける調子というか

リズム的なものを取り戻せるような気がしました。

先生の手紙が後半にあり、それがとても長いのですが、

それも難なく読めます。

(こういうのは読んだ後にさらっと書いた方が良いかもですね。内容があまり思い出せません)

ただ、これには死に際に残す人の言葉の重み。人生にキャップが掛かった状態での人の言動の重みがあるようで、

それがずしっと来る感じがしました。


行人 (新潮文庫)

行人 (新潮文庫)

この作品も、『こころ』と同じように長い手紙が出てきます。

疑心暗鬼になってしまった兄と、それを見守る妻と弟と。

途中どきどきさせる展開もあって、それが読み進める推進力にもなっている気がしました。

本ばかり読むようになってしまい、世間から徐々に遠のいていってしまう兄。

それを見守る弟。妻。友人。

哲学的な事や、心理学的な事。

実際に生きる事に事が不器用な人間と、それを愛する人。

愛する、というよりも、見守る感じ。

最後の手紙の部分が、やはり読みごたえがあって、泣きそうになりました。


雪国 (新潮文庫 (か-1-1))

雪国 (新潮文庫 (か-1-1))

題名だけ知っていた作品。

トンネルを抜けるとそこは…のフレーズはこの作品だったのですね。

表現方法と言うか、文章のリズム、出てくる言葉等に不慣れなせいか

若干読むのに苦労しました。

ただ、とても繊細で、言葉で表すのが難しいくらい細く、儚い物語のようでした。

始まりも終わりも、すっと始まって、ふっと終わる(ロウソクの火が消え入るような)。

温泉の街は、こんな感じなのかな、という事と、

景色がとてもきれいな印象でした。


1Q84 1-3巻セット

1Q84 1-3巻セット

文庫本で全6巻。

問答無用の面白さです。

僕は3日で読み終えました。


日本の文脈

日本の文脈

もともとは、『日本の王道』という題名で出版される予定だったそうです。

それが、3月11日の震災で、それを踏まえた内容になっています。


子どもは判ってくれない (文春文庫)

子どもは判ってくれない (文春文庫)

内田樹さんの本で、文庫はすべて読み切ったと思っていたのですが、

書店でまだ読んでいない本があったので読んでみました。

2003年に出版された内容らしいのですが、

今よりも少し文面が堅い感じがしました。

イジワルな感じがあるのですが、今はそれを上手く隠されているのでしょうか。

それでも、言われている事の大体は余り変わっていないようでした。


日本の伝説 (新潮文庫 や 15-2)

日本の伝説 (新潮文庫 や 15-2)

この本は以前に一度読んでいたのですが、もう一度読み返しました。

片目の魚の話など、全国に似たような伝説があって、

それを辿る感じ。以前、配達で回っていた地区にも小さな池があったのですが、

そこにも何か伝説(昔話?)がありそうだな、と思いました。


文庫本の解説を書かれたのは、しーなさん。

中村航さんの作品を読むのは2度目。

1度目は、2004年。大学を出た年に地元の書店で手にした『リレキショ』でした。

その時は立ち読みだったのですが、通しで読んでしまいました。(中村航さんすみません)

8年後、その本の著者の解説をされた方に会う事になるとは、

その時は想像すらしませんでした。

8年間。右往左往し、しーなさんに会いに行きました。

『リレキショ』をふと手にした時が、僕の「あのとき」なのかもしれません。

僕はこれからも右往左往していくか

大波小波を渡っていくのだと思います。

今が「あのとき」になっていくのだと思います。

そういう事を書かれた作品でした。

先日、伊香保へ行ってきたのですが、

みなさんとても素敵な方で、帰り際、少し泣きそうになりました。

話を聞いているうちに、皆、実際に行動している方ばかりだ、という事に気付きました。

楽しい本を読んで、その著者に感想を送る。

その著者に会いに行く。

読んで、あーたのしかった。だけでは無くて、実際に行動する!

その「過剰さ」が色んなところで繋がって、

小さな池に小石が投げ込まれて、波になって、大波になる。

それが波及して、こういう事になっていくのだなぁという事を感じました。

実際に、行動を起こしても、どうせダメだろう。ではない!何か、があるなぁ、と思いました。

そして、同時に「お前は何者なのか」と問われている感じもしました。

うーむ、何者なのだろう。

そう問われて応える事が出来たのは、

「少し前まで酒屋(ディスカウント)で働いていた」という事くらいで、

実際には色々それまでもやってきた筈なのですが、直近で言うとこれしか無かったのです。

酒屋にしばらくく居た事で、若干話の広がりがあったことや、

そういうあれこれがあって、それは良かったのだな、と思いました。

が!

しかしです。

これからの自分は何なのか。

いろいろやって、自分の軸を作っていくしかありません。

今やっている事は、

家事と、ジョギングと、読書と、

為末大のツイートを文字にしてプリントアウト。

実際に行動を起こして行かない事には、

何も始まりません。

本はまだまだ読み進め、

人にも沢山会って、

もう一度、世間と関わらないといけません。

(今は一消費者でしかないのです)

その為に出来る事を淡々と虎視眈々とやっていきたいものです。

いま読んでいる本。

プラグマティズム (岩波文庫)

プラグマティズム (岩波文庫)

こうして振り返ると、感想を書いておかないと、

読んだ内容をどんどん忘れてしまいそうです。

あと、

最後になったのですが、

最近気付いたこと。

それは、弓道射法八節にはきちんと意味があったのだ!という事でした。

弓道では、

弓を引き分ける時に、弓を身体の上方に持っていき、そこから引き分けるのですが、

それを身体を中心とした二等辺三角形を作るのではなくて、

まず、大三(だいさん)という段階に持って行って、そこで一呼吸置き、呼吸を整えます。

大三は、形で言うと、腕で台形をする形になって、弓は身体よりも的寄りになるのですが、

一度この形を取る事で、弓を使って描ける三角形が、

弓を上方に持ちあげた状態から直接、二等辺三角形を描くものよりも大きくなっているのです。

これは、少し考えればすぐに分かる事なのですが、

僕はまったく疑問無しにこの動作を行っていたので、

先日これに気付いた時は、少し感動してしまいました。

三角形の底辺をより長くすることで、弓が矢に伝える力を引き出せるのですが、

大三の構えは、三角形の頂点を身体のより上方(実際には手の届かない範囲)迄持っていくことが出来、

それによって、より少ない力で弓を引き分ける事が可能になっていたのです!

感動。

個人のブログでどんなに感動してもあれなのですが、

この感動が誰かに伝われば幸いです。


伊香保の感想は、後日改めて

きちんと書きたいと思います。