かもしれないブログ

月一更新です。

ガンダムを観ている

大学の頃はお金は無かったけれど、とにかく時間だけはあった。

今思えばせっかく京都にいたんだから、いろいろ見て回ればよかったのかなとも思う時もある。社会に出てから、「せっかく京都にいたのに、何してたの?勿体ない」と言われる事も少なくない。でも、忘れがちなのは京都にいるからと言って神社仏閣(神社はそうでも無いけれど)に行き放題という訳ではないのだ。

だいたい名のあるお寺に入るには拝観料というのが必要なのだ。移動するにもお金はかかるし、そこに入るにも要るとなると、学生の頃は、「寺に行こう」という気持ちにはなれなかった。そもそも寺に興味がなかったのかもしれない。

この年になってみると京都という土地のことが少しずつ見えてくる。例えば、いつの時代に誰がどこに住んでいたのか等。最近知ったのは、中原中也が一時期住んでいた場所が、自分の下宿先の目と鼻の先だったことだった。こういうことを知っていれば、京都の生活はもっともっと充実したものだっただろう。

だけれど、大学時代の自分は中原中也という人物を知らなかった。知ったのはほんの数年前のことだ。それも紆余曲折を経て、自分なりにいろいろ悩んだり考えたりまた悩んだりした末に知ったのだった。そこで知った彼の詩は、とても暖かく思えたけれど、大学時代の自分ではそれが感じられただろうか。

おそらく、当時の自分では彼の詩が受け付けられないか、もしくはその力に飲み込まれてしまったように思う。詩=弱さみたいな、変な等式が自分のなかにあったからかもしれない。まぁ、そんなこんなで、今思うことと当時感じていたことはまったくの別物なのだ。当時の自分と今の自分もまた、考え方も価値観もだいぶ変わっていると思う。根本的な部分は相変わらずだけれど。

 

で、うーん。なんだっけ。

思い出した。最近、ガンダムを観ている。何でガンダムの話が京都から始まるかというと、僕がガンダムを初めてちゃんと観たのが京都に居たときだったから。バイト先の先輩に「これだけは観とけ」と言われて、1st、Z、ZZを全話、VHSで借りたのだった。時間だけはあったから、二日間か三日間か忘れたけれどとにかくぶっ通しで観た。最初はそんなに興味が無かったけれど、観だすと止まらなかった。朝から晩まで、または夕方から夜を徹して観た。今思うとなんとも贅沢な生活だ。

ぶっ通しだから、ストーリーも登場人物の名前も殆ど覚えていないけれど、とにかくすごいアニメだと思った。VHSを全話揃えている人がいるくらいのものなだけある。あれはすごい。

それから大学を出て、気が向いてはガンダムを観ることがあるけれど、当時のように全話を観ることができなくなった。時間と熱量が足りないのだ。せいぜいZの劇場版を借りてみるくらい。レンタルするにはお金も必要だ。

で、そうこうしているうちに、もう一度その波がやって来た。ふと近所のツタヤでガンダムUCのDVDを借りた。面白かった。これまでの物語のいろいろなシーンが含まれていて、ああ、ここ何か見た事あるなぁと思いながら観た。きっと、もっとちゃんと観てきた人は、それこそ色んな事が分かる物語なのだろうなぁと思った。

もう一度、1stから見直したくなってしまった。ガンダムの世界は本当にすごい。wikiでいろいろ調べていると、それだけで一日が終わる。

先輩が何故、自分にガンダムを勧めてくれたのかは分からないけれど、自分の中ではガンダム=京都、大学生活というイメージがある。そういうモラトリアム的な気分の時に観たくなるのかもしれない。自分の中で、何か景気づけみたいな意味合いもあるのかもしれない。

京都での生活は、他人から見れば勿体ない!と言われるような過ごし方だったかもしれないけれど、逆に、だからこそ贅沢な過ごし方だったようにも思える。