かもしれないブログ

月一更新です。

インターステラ―を観てきた。

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 観察者は対象の中に必ず自分自身を見つけるというならば、どんな作品を観てもそこで目にするのは自分自身だと言える。

これをもっと広げると、誰かが違う誰かにアドバイスなり何なりをする場合、それは相手の中にいる自分自身に言っている、とも言えるんじゃないか。

実際、自分の中に無いものを外に見出すことは難しいし、もし見つけ出したとしても理解できないだろうから。

誰かが何かを言っていたら、それは全て自分自身のことなのだ。

自分自身の中に無いものを表現する事はできない。

だから特に何も気にする必要はないし、自分が「コレだ!」と感じた方向に進めばいいだけだ。

毎日、毎日。朝が来て昼が来て、夜が来る。

延々と続く。

そうなると、不安になる。

これで、このままで人生終わるんじゃないか。

予想する。

1年後。3年後。10年後。

ゾッとする。変わらない日々に。変わり映えのしない日々に。

予想がついてしまう、という怖さ。

でも、未来は何も決まっていないし、今ここに居るからと言って、これから先ずーっとここに居る必要も何もない。

ただ、日々やることをやる。

変化はいつも突然訪れる。それが何かは分からないけれど。

それが外的な変化なのか内的なそれなのか分からないけれど。

そういうのって否応なしにやってくる。

数年後こうなってるだろうな、と思う。

でも、そういう予想が当たった試しなんてない。

いつも思いもよらぬ展開になっている。

でも、一歩は踏み出さなければ。

自分の範囲で、手の届く範囲でとどめようとすれば

物語はそこまでなんだ、ということを感じた。

 

他人の感情にも自分の感情にも飲まれるのはよくない。

感情に振り回されず、静かにそれを見守る。

でも、だとすると感情ってのはそもそも何なのだろう。

と、ふと思った。

それは何かエネルギーの素のような気もするけれど、下手に近づくとよくない。

それで、その辺りを。その周辺を衛星みたく回りながら観察する。

占星術でいうと、感情って何か火星とか冥王星っぽい。

 

思えば、同じようなことをグルグルグルグル考えたり、したりしている。