最近眺めている本。
この前、『カラマーゾフの兄弟』3巻を読み終えた為か、
本を読む気力が少なくなった感じがします。
自分のよろしくないところは、何かを始めるとそればかりになってしまう所で、
長編小説を読んだ後には、少し空白期間を入れた方が良いのかもしれません。
そういう時には、写真付きの本を眺めると良いような気がします。
でも、そういう時も気楽に読んでいる感じが無く、
まさしく何かに追われているような本の読み方になるので困ったもんです。
追われていると言えば、
今朝は竜巻が夢に出てきました。
海の向こう側に竜巻が何本も発生して、
それがこちら側に向かってくるらしく、
その時に宇宙船に乗り込むか(これは先日放送されていたナウシカとアルマゲドンの影響)
神様を祭っている古い民家(こないだ、そういう祭りがあった影響)に逃げ込むかで、
自分は古い民家に逃げ込んだのですが、その先は分かりませんでした。
いま読んでいる本。
- 作者: 柳田國男
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1978/10/16
- メディア: 文庫
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今は自由に本が読めるのですが、
一日中、本を読んでいる訳にもいかないので、困ったもんです。
最近思ったのは、自分で道筋をつけて進もうとしても、
なかなか難しい上に、道幅が狭くなってしまうのではなかろうか、という事。
例えば、これからこういう活動あるいは生活を送りたい、という目標を立てたとして、
その為にはお金が毎月いくら必要か、という計算に取り掛かるのですが、
それは大切なようでいて、でも、それを判断の基準に取り入れようとすると可笑しなことになるのではなかろうかなぁ
という事。
問題は、何がしたいか、『どういう生活を送りたいか』であって、
それに幾ら必要か、というのは手段の、二義的な事であるはずなのに、
気が付くと、計算の方に気が行ってしまって、
問題が視野の外に追いやられてしまう事が僕の場合多いような気がします。
計算は計算として大事ですが、それよりも大事だったのは『こういう生活がしたい』という目標あるいは指標だったという事。
それがある程度決まったのであれば、出来るかどうかは度外視して取り掛かる。
それに周りの人が付いてこれるかどうか、賛同してくれるかどうか、
は分かりませんが、本当に『コレ』というものがあるのであれば、
他人がどうするか、周りがどうするかは、もうその人たちに任せるしかないのだなぁという事。
それに賛同してくれる人があれば、それは力強い支援というかそういうものに成り得るだろうとは思います。
でも、賛同してもらうためにでは無くて、自分が目指したい方向、というのが第一にある、という事。
その『方向』を今は探している部分もあるかなぁと思うのですが、
自分が今こういう風でいるのも、ある部分では何かに対する反対だったり、反動だったり、
一種の方向性はあるのであって、それがあれです。
何はともあれ、何かに追われるような感覚や、
タイムリミットをチラつかせられているような生活、
或いは、あまりにも短期的な、短絡的な行動。
そういうものからは距離を取りたい。
何事もバランスで、思うようにはならないかもしれないですが、
やはり指針は大事だと思います。
そして、身の回りの人たちが年を取って行っていて、
それが生活に変化を与え始めているのですが、
そういう中で自分がどういう行動を取ればいいのか。
考えているところです。