かもしれないブログ

月一更新です。

ビバ俺んち。

学生の頃は旅行が好きで、外に出かけるのが好きだった。

旅行冒険大好き人間だった。

大学を卒業してからは、自転車で色々まわったり、

車の運転が出来るようになってからはドライブを沢山した。

とにかく、移動している事が大事だったのだ。

京都から福井まで、自転車で何往復した事か。

何がそうさせていたのか。

多分、体力が有り余っていたのと、

それが好きだったんだろうと思う。

おそらく、いまでもやりだせば楽しいだろうとは思う。

それが、最近、何かがオカシイ。

旅行を計画していたのだけれど、何かがオカシイ。

旅行は、多分計画している段階から楽しいものだったはずなのだ。

程度の差はあるけれど、自分にとって、旅行とはそういうものだった。

それがここに来て、そう感じられなくなっている自分がいたのだった。

端的に言うと、面倒そうだ。という事だ。

とはいえ、色々準備は進めていた。

でも、ドライブさせる何かが決定的に欠けている。

もっと言うと、アラームが鳴っている気がする。

子どもは判ってくれない (文春文庫)

子どもは判ってくれない (文春文庫)

何だかすごく偉そうな題名なのだけれど、

著者(内田樹さん)は、この本の中で自分自身を大人だとは認めていない。

子どもである自分が、「大人とはこういうものですよと」と、案内するというような内容になっている。

買ってしばらく、読み進められなかった。

久しぶりに読んでみた。

「なるほどなぁ」の連続だ。

読みやすさという点では、他の最近出版されたものよりも、読み難い。

でも、読むたびに新しい発見があるような気がする。

読み難いから、読み飛ばす。読み流す。

暫く経った後に、読んでみる。読めるようになっている。

多分、僕が冒険が苦手になった事の理由には

単に年をとったという事もあるのだろうと思う。

車の運転をしていると、昔は平気だったのに、最近は疲れが出てくる。

気力が湧いてこない。

でも、その代わりかどうかは分からないけれど、

本を読む気力は湧いてくる。

噴出している訳では無いけれど、こんこんと湧き出ているような気がする。

それを大事にしたいと思う。

後、冒険と言うかそういう事に対して億劫がるというか

二の足を踏んでしまうのは、

多分、臆病になってしまったのだろう。と思う。

それは、でも悪いことだろうか。

僕はそうは思わない。

前の職場で得た事の一つに、

「身体を大切に使う」という事がある。

その意識が無いと、身体を消耗品のように使ってしまう。

どうせ自分なんか…という気持ちが身体の存在を無視し

精神力で乗り切ろうとしてしまう。

でも、人間は身体があってこそのものなのだから

身体的限界を凌駕する事が出来ない。

僕は、多分何かそういう経験を経て

臆病になったのだと思う。おそらく適切な範囲で。

そして、

人と会うという事も、

何も地球の裏側まで行かずとも、近くにいくらでも居るじゃないか。

自分の見えていない範囲で、

もしくは見落としている範囲で。

他の人と自分自身を比べる事は出来ないけれど、

どうも、自分が見るべきものは

案外身近なところにあるんじゃないか

という気がした。

で、

旅行の話。

旅行はまだいいのだけれど、

冒険はもうできないんじゃないかな、と僕は思う。

僕は昔はワクワク感というかドキドキ感。未知との遭遇

みたいなものを期待して、自転車で北海道を走った。

でも、今の僕には、もうそこにそういうものを求める事が出来なくなった。

ならば、海外に行けば良いんじゃないか?と思い、

計画を立ててみる。準備してみる。

自分を奮い立たせてみる。

それでも、やっぱり

ダメだったのだ。

何故なのか。何故こうなってしまったのか。

暫くの間、分からなかった。

自分はもう、ああいう興奮と言うか

行動力を失ってしまったのだろうか。

悔しい。

何故だ!何故動かんのだ!

と自分に問いかけても、やはり分からなかった。

それが、

本を読んでみて分かったのだった。

案外、単純な事だった。

今の僕は、本の中に、

或いは、日々の生活の中に、

それを探す事、それを見る事の楽しさ

というか、それで満足出来るようになっていたのだった。

これが、年をとった人間の言い訳なのか

若年寄の情けない姿なのか

冒険心・探究心を失った人間の姿なのか

どう言われても僕は構わないけれど、

でも、少なくとも、探究心は失われていない気がした。

本を読んでいる時の楽しさ・心地よさは確かにあるのだし、

それは別に他人にとやかく言われる事でもない。

なるほどなぁ

と本を読みながら、

自分の目の前に、いままでにない感じが現れてくる。

人にしたって、そうだったのだ。

何も遠くまで行く必要ないじゃない。

お金もかかるし。

そういう訳で

僕は

ビバ俺んち人間になっていたのだった。