ネットの世界は広大。
ネットの世界は広大で、いろんな人の書く文章を読んでいると、自分にはなんと何も無いのだろうという気がしてくる。
文章といっても、僕がよく読みに行くのは、石井ゆかりさんだったり、雨宮まみさんといったプロのライターなのだけど。
一人の人間に与えられた時間は、有限で。
一人の人間が一生のうちに経験し得る事なんてそんなに多くはないだろうし、それをどこまで掘り下げられるかなのだろうけど。
そういう圧倒的な力の差みたいなのとか努力の差みたいなのを見ると、なんというか自分の馬鹿さみたいなのがよく分かる気がする。
気が付けば、高校のころの友人は、みな地方公務員になってしまったし、かと言って、ぼくが公務員に向いてるかという、それは僕には適正がまったく無いのは、数年前の臨時の仕事で思い知らされているから、あれなのだけど。
じゃあ、自分は何をどうやって生きていく?食べていく?となった時に、帯に短したすきに長し、の感じで実に中途半端でいやになる。
地元で、職安に行けば、仕事はあるだろうし、そこから先は自分でまた切り開けば良いのだけど、その最初の一歩が踏み出せないでいる。
そういう歯がゆさがある。
中学・高校の勉強は、その都度最大限の努力を払ってきた(つもり←これがあれか)し、部活も結構(とうかかなり真面目に)やってきた。
そういう自分が、いま全く何もしていなくて、前に進めないでいる悔しさがあって、あと報われない思いというのもあって、それを昇華させるために、高校の友人にコンビを組もうと言ったのだけど、それもちょっと何と言うか、今はまだ見切り発車的な感覚があったりもする。
このまま、負け続ける状況、このまま何もせずに時間だけ流れていくこの状況は何としても変えたいから、その為のコンビ活動なのだけど、
もうひとつ、その活動だけに留まらない、やっぱり経済活動というのは大事だなと思う。仕事の内容は、まだよく分からないけども、自分はこれで食ってます的な、そういう自分がこれだと言える、そういうものってやっぱり必要だと感じた。
mixiのアプリで、甘えん坊という評価を一人からもらったけど、そういうことを言われて、喜ぶというか、そういう感覚を持つのではなくて、なんというか、あれな感じ。
いまは、言うなら努力もしてないのに負けている状況であって、で、やれば出来るのにやれてない自分と言うのが、もどかしい感じもする。
でも、じゃあほんとにもう良いのかっていうと、という甘えというか時期・波みたいなのをやっぱり待っている自分もいるわけで、
その波はやっぱり、がしっと掴んで進みたい。
焦る必要は、全く無いし、毎回焦りが原因でずっこけるのが自分のパターンだから、それは痛いほど分かってるのだけど。
なんというか、やっぱりそういうプロの仕事を見てると、自分なにやってんだろうという気になる。
働いてる時は、それほど意識しなかったけど、やっぱり、そういう欲求ってのは自分の中にまだあるらしい。
昨日は、以前働いていた派遣先の人と、あとその後に勤めた会社の上役の人を見た。普段はそんなに知ってる人は見ないのだけど、昨日は二人見た。
多分、後に見た上役の人は、こっちのことに気付いたと思う。だから何だってことは無いし、直接かかわることも無かったから、特になにも無いのだけど。最初、入ったころに、自分が目標にしていた人で、なんというか少し心地の良くないものを自分の中に感じた。
何とも表現し難い感覚だった。し、今もなんか、まだある。気がする。
つまり、負けてるのが悔しいってことだ。
自分がまず見つめるのは自分の足元。スタートはいつもそこから。
外にあるのはヒントで、答えは自分の中からサルベージする。
〜関係ない独り言〜
ただ感じたのは、人に対して冷たくすることが、カッコいいとか、クールってのとは違う。
それだけは言える。
距離を掴みつらかったりはするけど、それでも僕は僕で進む。
それだけ。