落ち着き。
何かがあると慌ててそれをやってしまったり、目先のことの解決に追われて一番欠けてはいけないことを欠かしたりすることがよくある。
「じっとしているよりも、何かしていたほうが解決に結びつくんじゃないか」だとか、じたばたしていればその内状況が好転して何とかなるだろうっていう考えがどこかにあるからかもしれない。
状況の変化を待つなら、ジタバタしようとジッとしていようとどちらでも同じはずなのだけれど、何というか動いていないと落ち着かない。
落ち着きが欲しいなぁと最近思うようになった。
時間があればクルマを運転して何かを探し回った時期もあったけれど、あの時期は傍から見るととても活発なようだったけれど、内心は結構しんどかったんだろうな、と今になって思う。
自転車に乗ったり、クルマを運転したり。とにかく動いていないと気が休まらなかったのだった。そして、その理由がどこにあるのかも考えようとしなかった。当時は、でも何かを探して必死だったのだ。
そうやって色々動き回った先に今がある。
思えば、いつも何か遠くのもの、ここではない遥か先にあるものを必死に追いかけていて、足元を疎かにしていた。話が空転したりする時って、だいたい地に足がついていない時だ。
「でも、その前に今ここにいることから始めよう」というポイントが無ければ、話の始まりも着地点も見つからない。何でも無い会話ならそれで良いけれど、何かを導き出そうとすれば、そこが抜けるとヌルヌルとした居心地の良くないものになる。
今・ここ・自分からしか物事は始まらない。
でも、そのこともいつかは必ず過ぎ去っていく。思い出になる。
いま、こうして書いているこの部屋にも僕がずっといることはない。
いつか、これも思い出になるのだ。
そう思えば、景色の見え方が変って、肩の力も抜けるような気がした。
最近気になったツイート。
理想を生きる事に夢中になる。こんなんじゃだめだ、もっともっととがんばって、ある日ふと足が動かなくなり自分を振り返るとぼろぼろになっている事に気づく。理想は向こう側にあるけれど、自分はここにある。いまここを生きていなかった事に気づく。
— 為末 大 (@daijapan) 2014, 7月 19
執着とはつまり、自分にとって本質的なミッションを後回しにし、非本質的なことで日常を埋めること、とも換言できる。
— 名越康文 (@nakoshiyasufumi) 2014, 7月 18
議論を通じて青年期の名越は気付くのだった。社会に偉い人は多くいるが、自分を魅惑してくれるほど価値あることを語ってくれる人物は、極めて少ない。おそらく幾人かだろう。だから落ち着いて探せばよいのだ、と。
— 名越康文 (@nakoshiyasufumi) 2014, 7月 17
ダークサイドは若さを食らう
— ジェダイ・オーダー (@Jedi_Temple) 2014, 7月 14
やるか、やらぬかだ 試しなどない
— ジェダイ・オーダー (@Jedi_Temple) 2014, 7月 14
得たものはすべて失う。つまり得るものは失う本性を内在することによって、初めてそこに成立している。つまり、失う本性が輝きの原因である。
— 名越康文 (@nakoshiyasufumi) 2014, 6月 9