かもしれないブログ

月一更新です。

viser

やはり、今後の方向性として、自分の進みたい方向に進んだ方がいいんじゃないだろうか。

自己犠牲として、あるいはバックアップとして、

自分の進む方向を考えるよりも、

まず、自分がどう歩みたいのかという事が欠落していたように思う。

何か解決済みで無い、

もやもやとしたものがある場合、

それは幾度となく姿を変え、目の前に現れてくる。

それを見過ごしている間中、

それは何度でも立ちはだかる。

超える必要は無いのかもしれないし、

無視したっていいのかもしれない。

でも、そうしている限り、その問題は何度も何度も、

自分の目の前に提示され続ける。

いつかは向き合わないといけない問題。課題。自分の抱えているもの。

それがここ数日、現れてくるようになってきていて、

どうにもこうにも無視できない状況にあるように感じるようになった。

その問題が提示される度、動揺し、無視しようとするが、

次第にそれは雪だるまのように大きくなり続けていた。

放置しておくわけにはいかないと思った。

取り掛からないといけない。

何所へ行っても、誰と会っても、同じ問題が提示され続けているように思う。

小さく考えず、誰かの真似をするのではなく、踏襲するのではなく、

自分の進む道を、方向性を

主体的に選ぶ。

これが、自分に提示され続けている問題の一つの表れなように思う。

見えない振りをしても、放置しても、

それはずっと自分の前に後ろに提示され続ける。

色々な情報、人間関係、噂話、そういうものを抜きにして

自分の眼で、

自分の感覚で、確かめ、

進んでいくこと。

それが自分に求められている事なのだと思う。