かもしれないブログ

月一更新です。

服を買いに。

今日は、市内のライトオンに服を買いに行ってきた。

数年前、あるいはそれより以前ならば、わざわざ京都へ足を運び

気に入ったショップで買っていたのだけれど、今回は市内。

それにしても思うのは、

DIESELである。

DIESELと言えば、自分が高校の時に同級生の女子がそれの靴を履いていて、

なんか格好いいなぁと思ったのが初めて見た時の印象だった。

それから数年たって、

自分より若い世代の人がそれを身に着けているのを見て、

自分もいつかは…と思ったのだった。

そして、ある程度準備が出来た段階で、

手に入れる事ができたのだが、

驚いたのはその後である。

気が付けば、右を見ても左を見てもDIESEL DIESEL

自分のオリジナルを出すつもりが、気が付いたら皆同じブランドを共有していたのだった。

同僚も先輩も後輩も、皆DIESELである。

これには辟易してしまった。

かと言って、別にキライになったわけでは無いのだけれど、

少し興ざめしてしまったのは事実なのだった。

思うに、自分が大人になってから行ったそういう事は、

学生時代の思い出の、いわば「お焚き上げ」に近い意味があるのかもしれない。

追いかけるもの、手にしたいもの、

それは個々人違うようでいて、実は非常に似通っている。

或いは、非常に似通った性質をもったものが、均質的に分布している。

自分はあまりファッション誌を読まないので、

何がお洒落で、何がお洒落でないのか、わからない。

それはセンスの問題もあるように思うけれど、今どのような格好が今風なのか、

が分からないから、非常に困るのだけれど、

そういう場合に、ええいままよ、とユニクロに逃げ込むというのも、それはそれで大衆的であるし、

今回は、ライトオンにしたのだった。

ユニクロよりも、良いんじゃなかろうか、的な意味で。

かと言って、ならばそれよりももっとハイセンスな着こなし、

ハイセンスなファッション、あるいは、

もっと個性的なファッションにいくのも肩が凝りそうであるし、

まして、そういうものの方が、逆にファッションセンスが問われる(流行アンテナの感度なども含めて)

ような気がする。

だから、僕はだいたいいつも黒かグレーかホワイトの、

無地のTシャツに、ジーパンとなるのだった。

やれやれ。

時々、そういうのが疲れて、

下駄を履いてみたりもするのだけれど、

あれはあれで、まだ肩が凝るような感じがする。

それにしても、DIESEL

アッパレではある。

自分が欲しいクルマというのも

それに似た要素があるのかもしれない。

市内で、それを見ると、おーっとなるが、

乗っている人を見て、満足してしまうというか、

満腹になってしまうというか。

自分の収入に比べて、遥かに分不相応な移動手段としての機械。

それにそれだけのお金を投入することに対する違和感。

違和感があるのは、たぶん自分の中のそれへの記号、象徴性、が足りていないのだろう。

あるいは擦り減ってきてしまったのかもしれない。

だから、自分はそれに対して、以前ほど欲しいと思うことが無くなってしまった。

新しいクルマの賞味期限は、そういう事なのかもしれない。

だから、モデルチェンジをし、装備を変え、自分の消費者心理を刺激する。

他人の手垢のついていない、記号、象徴性を伴って。

ここで問題なのは、自分が何を欲しているのかという事と、

そして、自分が目指すものにそれは入っているのかという事。

残念ながら、いま自分の消費者マインドを煽る商品がないのだった。

それは、自分が消費したいものとしてのそれ、なのだけれども。