プールの中で歩くような感じ。
本を読んだら、読んだだけ忘れないといけない、という風な言葉を何処かで読んだ。
そうしないと、頭でっかちな人間になってしまうかららしい。
そうだとすると、自分の場合は、読んだ時はなるほどなぁと思うのだけれど、
すぐに内容を忘れてしまうから、大丈夫だと思われる(多分)。
しかし、自分の記憶と言うのは不意に蘇ってくるものであるような気がする。
最近、話題になっている塩麹。
塩麹通りなんてありそうだなぁと思って、検索してみたら、
あったのだった。
塩小路通り。字こそ違うが、読みはシオコウジドオリ。
オシコウジドオリなんてのもありそうだ、と思っていたので、
調べてみたら、
やはりあった。
押小路通り。
両方とも京都の通り名で、
学生の頃に耳にしていた名前が記憶に残っていたのだった。
@@@@@
自分が読むブログというのは、数はあまりないのだけれど、
自分のブログを読んでくれている人は何人いるのだろう。
時々アクセスが無い日もあって、
それで更新するのもやめようかな、なんて思うのだけれど、
どうもブログというのは、更新しないとアクセス数が伸びないように思われる。
でも、まったくアクセスが無いのもまた更新頻度に影響するような気がするのであって、
卵と鶏みたいな関係だけれど、
自分の場合は、どうだろう。
多分、何か記録と言うか、
誰かに聞いて貰いたい事だったり、伝えたい事だったり、
があると更新する気がする。
どうも、自分の場合は、急ぐほどに遅れるというか、
走っている割には前に進んでいないというか、焦りというか、
一言でいうと、焦りなんだけれども、そういうのがある気がする。
で、それはどういう訳か考えてみるに、
どういう訳かは分からないけれども、どうもプールの中を走っているような気がしたのだった。
泳いだら楽だし、浮くだけでも全然違うのだが、どうも自分は走ろう走ろう。
あるいは、速く歩こう。あぁ水底から足が離れてしまう!
と思っているような節がある気がした。
そもそも足が水底から離れてしまうのであれば、いっそ浮けばいいのだし、
浮いてから物事を考えればいいのだと思う。
それを必死こいて、歩こう・走ろうとするから大変なんだな。
四月から夏くらいにかけて、しばらく自分の時間が増える事になったのだが、
正直時間を持て余しそうだなぁと思っている。
自由が欲しい欲しいと思う時は一向にそれはなくて、
いざ、自由です!となったら不安になる自分なのだけれど、
こういう環境というのもなかなか無いと思うので(この年齢でこういうタイミングはまさにいましか無いのであって)、
そうならば、考え付くこと、出来る事はやっておきたい。
たまりにたまった本だったり、散らかった部屋だったり、
その他こまごまと。今しかできない事。今だから出来る事。
色々遊びにも行ってみたい気もするし、会ってみたい人もいるような気がする。
それがどこまで、どれだけ実現するかは分からないけれども、
落花流水。
急ぐほど遅くなるのであれば、いっそ遅いままでもいいのではないかなぁ等と思いきれるほど
悟りきっても居ないのだけれど。
@@@@@
あと、色々なブログを読んで思うのは、
文体は、影響されるという事。
自分がこういう文体なのは、そういう文章をた沢山読んでいるからのように思うし、
その日その日の気分にもよるのだけれど、
例えば、海外のニュース風だったり、体験記風だったり、
そういう文体があるように思うのだけれど、
文章を読んでいて、ふとそういう事が(本当かどうかは分からないけれども)浮かび上がってきた時は
ふと心の中で笑いそうになる。