かもしれないブログ

月一更新です。

2月に読んだ本。

2月は、寝ている時間が多かったのですが、本は何冊か読んでいました。

個人的に白洲正子の本を集中して読んでおりました。

おとこ友達との会話 (新潮文庫)

おとこ友達との会話 (新潮文庫)

名人は危うきに遊ぶ (新潮文庫)

名人は危うきに遊ぶ (新潮文庫)

夕顔 (新潮文庫)

夕顔 (新潮文庫)


そして、

いま読み進めているのは、『私の百人一首』という本でして、

私の百人一首 (新潮文庫)

私の百人一首 (新潮文庫)

百首が載っているのですが、やっと六十首が見えてきたところです。

もともと百人一首になんの親しみもなく、いまもって親しめているかどうか怪しいところなのです。

なかなか苦戦しております。

こないだ、きっかけがあって鈴木大拙の『日本的霊性』と『東洋的な見方』を読み返してみて、

そして、今日は前に買っていて読んでいなかった『現代人の祈り』という本を読みました。

宗教的な本がここのところ続いておりまして、

ともすると頭の中で理解するというか、わかったつもりになるというか

理論だけで生きる根なし草的な感じになってしまうので気を付けないとなぁという感じがします。

そもそも落ち着いて本を読める環境と言うのが、

奇跡的な事のようにも思えるのでして、

で、小説の方は『道化師の蝶』を読んでおります。

道化師の蝶

道化師の蝶

大変面白いのですが、なかなか読み進められなくて、まだ30ページくらいしか読み進められていないです。

自分の本の読み方と言うか、他の人がどういう読書をしているのか分からないのですが、

何冊かの本を同時に並行して読んで行くから、本を読み終えるのにとても時間がかかるのです。

一冊を通して読むだけの集中力と言うか、そういうのが無いのかもしれません。

最近、思ったことは、自分が考えている考え方の軸と言うか、そういうのとは全く違った次元の考え方があるなぁという事でした。

自分の場合は、本を読んだり、いろいろ経験したりして、その都度考えてみたりするのですが、その方法は、積み重ねの連続というか、一枚一枚層を重ねていくような感じに思うのですが、

それとは全く違った考え方・物事の捉え方があるという事。

まず目的地というか、中心地があって、そこから自分の居場所を確認するような、そういう捉え方があるのだなぁという事でした。

例えば、ある出来事が起きた時、それに対する意味づけをどうするかという事は、技術的な事や、感情的な事、ではなくて、

それだけではない捉え方があるような気がしました。

それは、技術や計算、感情、理性といったもので捉えるというよりは、それとはまったく異なった方法で。

方法と言うと人為的な感じがして違和感があるのですが、他に言葉が見当たらないのです。

幅を持たせるというか、濁ったコップの中の水を、より大きなプールに移すことで、水をきれいにするというか、よくわからないのですが、そういう感じなのかなぁと思いました。

そしてそれが故意にされるのではなくて、気が付いていたらそうなっていたというか、そういう感じがします。

とりあえず、

今年の目標としては、

本を引き続き読み進める事と、人と接して経験を増やす事と、

大きく分けてこの二つに取り組んでいきたいと思います。