かもしれないブログ

月一更新です。

こないだ読んだツイート。

こないだ、或る人がツイッターで「恋愛と言うのは、雑誌とかではみんながやるべき楽しい事って書かれているけれど、本当はとても辛いことだと思う」というような事が書いてあって、

もう30歳になろうかという男性がこういう事に言及するのは、最近の若者風(←この表現も古い)に言うと

きめー」って事になるけれど、これは大事な事だと思ったので日記に書いておきます。




実際、そういう事になるとすごくエネルギー使うし、

「逆にエネルギーが湧いてくるぜ」って言う人もいるかもしれないけれど、

それをコントロール出来ているうちはいいと思う。

問題は、コントロールできない場合であって、強烈に相手に魅かれてしまうとそれに振り回されてしまう事もあるように思う。
談志たるもの、否男子たるものそれはあれだと思うけれども、

自分は強いと思う男子ほど弱い男子はいないわけであって、

それで先のツイッターのあれに戻る訳ですが、

本当にそれはその通りだと思いました。

実際、そういう経験をしている人見れば愛憎劇というか何というか、本当にあれであって、残酷なのだ。

だから、僕は意識的に距離を取っているのかもしれません。

最近コミュ障云々言われているけれども、それは傷つきたくない傷つけたくないというあれであって、その逆に強烈に人との接触を欲するタイプもいるように思うのでして、

意外だったのは、爆笑問題の太田が、そういう「人間との接触に飢えてる」と本で書いてあった事なんですが、

それはまぁ良いとして、実際、恋愛ってのは危険なんだって事を

危険と言うか、殆ど悲劇と言うか、結実しない事が多いですよねって話でして

こういう事をブログで書くアラサー男子マジきもいって事なんですけどね。

恋愛至上主義と言うか、自分の空虚さを恋愛にせよ、ボランティアにせよ、そういうもので埋めようってのは、何か違うようなきがするんですよね。

やってみればわかるんですが、それはもう虚しいだけだと思います。空虚さを何かで埋めよう、その為に(ってわけでは無いにせよ)他人と関わろうっていうのは、虚しいだけです。

それを楽しいキラキラした素晴らしいものってアナウンスするのは、ちょっと違うというか実際そういう道の人(っているんだろうか)に聞くとどういうか分からないんですが、

相当辛いし、残酷だし、酷いもんですよ。

世界に自分しかいないんじゃないかってくらい孤独感を突き詰められたり、

逢ひみての後の心にくらぶれば
昔はものを思はざりけり

じゃないですが、たぶんそういう思いとかもあって、

だからそれだけのエネルギーを使うのが惜しいというか、それだけのエネルギーがあるなら他で使いましょうよというか、

そんな事を思ったのでした。

昨日、テレビを見ていたら、

アフリカかどこかで暮らしている日本人が出ていて、

その人は一人暮らしだったのですが、さびしくないのかなぁと思ったのでした。

でも、その人はそういう感じはなくて、その国の人が好きみたいでした。

多分、好きという感情というか思いは、一人に集中させずに、広く分散させて使った方がいいのじゃなかろうか
的な事を、いま思いつきました。