かもしれないブログ

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ユング自伝2

病後にはじめて、私は自分の運命を肯定することがいかに大切かわかった。このようにして私は、どんなに不可解なことが起こっても、それを拒むことのない自我を鍛えた。つまりそれは、真実に耐える自我であって、それは世界や運命と比べても遜色がない。かくして、敗北をも勝利と体験する。

この文章も好きな部分の一つです。
意味もさることながら、文章全体から何か力を感じます。こういう文章を読むと、是非原文で読んでみたいと思います。

ユングは、色々な論文を書きはしたものの、自分の事となるとあまり語りたがらなかったようで、自分自身の秘密(?)、内面をあまり表にさらけ出す人ではなかったようです。

1916年の「死者への七つの語らい」の最後に、字謎があるのですが、それについても秘密を守ったとの事です。

幼少のころから、自分の部屋に石を置き、それを自分の秘密としていたそうです。

そんな、自分と世界だけが知っている秘密。

最初の引用部分で、力を感じるのは、自我を、世界や運命と同じ土俵に上げ、それらと比べても遜色ないと言う所。そして、敗北をも勝利と体験、の部分ですが、

敗北を勝利とカウントすると、全てが勝利となるわけですが、それがすなわち運命の肯定という事につながっているようです。

自分の運命、それを拒むことのない自我。

それは、強いだけでなく、弱さをも含む強さと言うか、そういう感じなのでしょうか。

仮に、自分にある弱い部分を発見してしまっても、それを否定せずに肯定する。

このあたり、占星術で言う土星をイメージしますが、どうなのでしょうか。

全てを包み込む柔らかさ(それだと海王星?)だけでない感じがします。

それにしても思うのは、

自分と言う一人の人間が、土星だったり海王星だったりの、遠くにある星をイメージするという事の不思議さです。

土星をイメージする自分は、土星自身と比べると、とても小さいですし、サイズ的にも、寿命的にも微々たるものですが、それがあーでもないこーでもない、と色々自分の行く末を案じていたかと思うと、いきなり土星の話になる。

その不思議さです。

そして、自分の儚さです。


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昨日は、アツアツのコーヒーをアルミ缶に入れて、雪に埋めて冷やしてから飲みました。

キンキンに冷えたわけではなかったのですが、なかなかうまかったです。