かもしれないブログ

月一更新です。

戦略雑感。

戦略的に物事を進める、

という考え方がある。

戦略が有効なのは

相手も同じレベルの枠組みで行動してくる場合だけであって

そうでない場合は、そのすべての戦略の意味がなくなる、

ということらしい。

アメリカがベトナム戦争で勝てなかったのは

つまりこういう事なのだ、

という感じらしい。

戦略。

そもそも

戦略的にやっていこうという呼びかけそのものが

この土俵の中で勝負しましょう

という呼びかけに他ならないんじゃないかなぁ

と感じた。

レバレッジとか戦略という考え方

これは戦いなのだ!

という考え方がある一方で

そうじゃないんじゃないか

という行動

人生を戦略的に組み立てて

その為だけに行動していくというのはどうなのだろうか。

学生時代、

就職セミナーというか

就職課が開催した

「働くとは」

みたいなセミナーがあって

正規雇用非正規雇用とでは

得られる生涯賃金にこれだけの差があります。

乗り遅れると大変な事になります。

生活のレベルが確保できません。

だから乗り遅れないように

戦略的に就職活動をしましょう。

みたいな内容だった。

人が戦略に走るのは

恐怖・疑心かららしいけども。

就職セミナーへは

形だけ参加したのだけど

あれにも意味はあったのかなーと感じた。

つまり

あれは、その時代の「空気」だったのだと思う。

当時は勢いのあった会社

怪しい会社

ニュースで騒がれて、

今はもう姿を消した会社も幾つかある。

自分がいったそういうセミナーは

大量採用で

入社後にふるいをかけて

使えるものだけ残す

というやり方をとっていた会社が多かった。


仕事は、

授かりもの

だと養老孟子は言ったらしいけど

だとしたら、これは

今の自分の状況は何なのだろう。

と、

考えていたら

平川克美の本にこう書いてあった。

なぜ彼は不幸な選択をしてしたのでしょうか?あるいは、仕事はなぜ必ずいきづまってしまうのでしょうか?答えは簡単です。彼はいきづまりたかったのだ、という他はないのです。

人間というものはまことに厄介なもので、自ら進んで手に負えないことをやりたがるという趨向性を持っているのです。


無意識的に

そういう状況に自分を放り込んでいる

という意識はあったのですが、

つまりそういう事だったのだと。

でも、これだと結局

元の木阿弥というか

だから?何?という感じです。

意識に上る問題は、意識的に解決できるけども

無意識に由来する問題は、無意識でしか解決できない

というか、その問題の次数を上げる事はできないのじゃないかなぁ

などと考えたりしました。

結局、今起きている問題は、いまここにあるフレーム内での事柄であって、

そのフレーム自体が変化してしまえば

問題の内容も、重要性も変わってくる

という事なんだと思いました。

フレームは、社会の様相であったり、天変地異であったり、自分の身体の変化であったり

思考のフレームを変える事が、

唯一自分から働きかけられる変化だと思うのですが、

これがなかなか難しい。

いま考えているフレームの中では、それは起こし得ないというか

一旦、そのフレームの外に立つ。

あるいは、自分がそのフレームの中に留まっている、という認識。

戦略といワーディングを用いる時点で、

既にそのレベルの内部での思考方法に縛り付けられている

という感じ。

という事を考えていたせいか

白髪が生えていました。

おー、

ついに自分にも白髪が!と

若干嬉しく思いました。

いま抱えている問題については

とりあえず

解決は出来ておらず、

なぜ解決できないのか、という問題に繰り上げた方が

いいのかもしれない。

と思いました。