かもしれないブログ

月一更新です。

白髪。

今日、初めて自分の白髪を見つけた。

自分の事も、世の中の事も、

身の回りの事も、

変化のスピードが速くて付いていくのが大変。

いつの時代も、こんなだったんだろうか。

それか、あるいは

自分の立ち位置を固定してしまえば、

そういう事も気にならなくなるのかなーと思ったりした。

今の世の中の流れとして、

スーッと一本調子でいける

という事はなく、

どこかで

また何かが起きるわけで

つまり

正解を引き当てよう

当たりをみつけよう

失敗をしないでおこう

という考え方。

それ自体が

古いというか

有効でない

というか。

いかにリスクをとらないか

というよりも

失敗しても

いい形をとるというか

失敗してもオーケー

外れてもオーケー

正解を引き当てなくてもオーケー

という

考え方でいた方が

よっぽど

なのではないかなーと思った。

明日から

というか、

今から

そういう考え方でいたいな。

押井守の本で、

ルールの中で勝つのではなく、

自分が勝てるルールを見つけ出すこと。

みたいな事が書かれていて、

なるほどなーと思った。

ユングの本を読んで、

無意識が人に与える影響

というのがあったのだけれど、

如何せん、無意識と言うのは、意識に上ってこないから無意識なのであって、

意識できる状態になった時点で、

無意識ではないわけで

結局

手も足も出んわ、という所に落ち込んでしまう。

無意識をどう

捉えるか

というと

もう難しすぎるので

一度

いまの思考方法を離れてみる

という事で、

ちょっと普段は手に取らない感じの本を読んでみたりしました。

自分は本を読むのが好きなので、

もしかしたら

本を読み続けるために

こうした状況を自ら作り出しているのかな、とか

自分が動けば動くほど

周囲に迷惑をかけてしまうのは

結局、迷惑をかけてやりたいとう気持ち(←迷惑すぎるけど)

の表れなのだとしたら

なんか納得だったり、してしまった。

なんで、動けば動くほど

窮地に立たされるのか

というその理由は、

要するにそうしてでも

迷惑をかけたいから

という自分の思いなのかもしれない

という考え方。

すごく迷惑だけど

結局、そういう事なのか、

と腑に落ちてしまった。

経済学者が経済学の事でしか世の中を見ないように、

そして、

素人目にもわかる間違いを見落としてしまうように、

自分は

自分の考え方に固執する、

というか

その真面目さというか

愚かしさ

故に

今のこの状態があり

ということなんだ

と思った。

「投影」の対象が、車とか家とかでも

可能かどうか

はわからないけど

結局

そういうのを所有するという事は

それと自分を同一視して

満足したい

という事なんだと思った。

自分は

出来る事なら

所有せずに

利用だけしていたい

という立場で

とくに

ガンガン消費したい

ってわけでもない。

それが

悪くすると

今回のような

ドタバタ劇と言うか

いつでも逃げだせる人間の持つリスク

というのが現れる。

住み心地のよい草庵。

それがあれば

僕はもう満足なのですが、

世の中の流れ的には

まだそこまでなっていないようなので

とりあえず

やることがあるうちは

やって

そうでなくなったら

さっさと

草庵を得てマッタリしたいものです。