かもしれないブログ

月一更新です。

ここにきての○○

(今日はちょっと湿っぽい話になります。)

昨日は、もうなんかバタバタであれだったのですが、

今日は休みでした。

で、散髪に行ってきました。

自分の今考えている事、感じていることが何なのか、

色々手さぐりなのですが、

とりあえず、前に買っておいたユング

自我と無意

という本を読んでいます。

自我と無意識 (レグルス文庫)

自我と無意識 (レグルス文庫)


思えば、自分はあまり人との別れ方と言うか、お別れの仕方というか、

そういうのが上手で無いです。

というか、下手です。

『みなさん、お世話になりました。

どうもありがとうございます。』

というお別れの仕方が出来ないのです。

唯一、良かったと思えるのは、小学校の転校・転入の事です。

これは、自分の中では結構大き出来事であって、

おそらく、事あるごとにこの事を思い出しては、

そこから何かを学ぼうとするのだと思います。

ただ、良かったのは、それぐらいなのです。

他の別れ方はそうでなくて、

まぁ、高校卒業時もそれはそれで良かったのですが。

例えば、メンバーが全員そこから居なくなる場合の別れと、

自分だけがそこから離れていく別れ。

これは質が違うと思うのですが、

今問題にしたいのは、後者の別れなのです。

別れというのは、ネガティブなイメージがありますが、そうでもなくて、

逆にそれ以降のスタート地点でもあるので

ポジティブというか、

そもそも出来事それ自体にはネガもポジも無いとは思うのですけど。

で、

そうそう。

別れが下手というのは、じゃあどういうのかと言うと

『もういいです。さようなら』

という別れ方なのです。

特に大学在学時、又は卒業後、

色々なアルバイトをしたり、また仕事に就いたりしましたが、

全部、この別れ方でした。

何故、そうなるのか。

今、ここにきてこれを問い直しているのは、

今まさにまたこれが繰り返されようとしているからであり、

ここで何とかした方が、後々いいような気がするからです。

今の仕事場での話なのですが、

人によっては本当にきれいにお別れをしていく人がいるのですよね。

というか、だいたいほとんどの人がそうなのです。

最後の出勤の日に、何かお菓子を置いて行ったり。

でも、そういう事が自分には出来ないのです。

働くという事は、既に貢献していくという形をとっており、

それの度合いは図れないのですが、

自分も、微力ながら力を尽くしているつもりです。

でも、この別れというステージに立つときは、もうあれなんですね。

きれいに別れる、

というのは一定のリズムというか、

定型の文句があります。

『今までお世話になりました。

もうちょっとここに居たかったのですが。

やりたいことが見つかったので。

次の仕事が見つかったので。』


これが、言えない。

お世話になりました、は言える。

でも、次の、

もうちょっとここに居たかった。

とか、

やりたいこと・次の仕事が見つかった。


とは、言えない。


僕が、その場を去る時というは、

もう、自分の中で色々な不満がたまっているからであり、

更にその不満を、建設的に言い換えて、提案と言う形で表現することもできず、

(あるいは、そうしたところで却下される事が目に見えている)

という状態になっているのです。


自分は、普段、あまり主張しないで、

できるだけその自分が所属する組織に適った行動をとるよう心がけます。

時には、過剰なまでに。


権力志向というか、自分より目上の人間に対して、

モノが言えないというか。

そういう自分はあまり好きではないのですが。

でも、そうかといって、

目上にかわいがられるキャラクターでもなく、

むしろ扱いにくいタイプ。

過剰に反応してくる部下は、あまりかわいくないのです。

で、

そういう感じで日々やっていくのですが、


感情表現が苦手というか、意思疎通が苦手というか。


まぁ、仕事に対しては特にそうなのです。


いま、こうしてここにきてこうなっているのは、

仮説としては、こうです。

おそらく、自分はこのパターンが好きなのではないか。

何かに積極的にコミットメントし、ある程度の信頼を得たうえで、

それを一気に切り崩す。

この一連の流れ。

現に、自分が一日の仕事を終えて、

その日あった不満を嬉々として語る時の口調は、

とても楽しそうなのです。

これが、原因なのではなかろうか。


つまり、


一日の不満を嬉々として語るために、働いているのではないか。


これは、


少し考え直したほうが良さそうです。


就職活動しながら、


次の仕事が決まってから


辞めた方が良いよ。

と言われました。


が、そんな時間的精神的余裕があるでしょうか。


あるいは、


自分は、


そうやって、日々を忙しくすることで


何かから目を背けようとしているか。


特にこれこれといった仕事がしたい!


というわけでもなく、


ただ、今のこの仕事を辞めたい。

この仕事の先に、自分の未来像が見えない。


いや、見えてしまっている。



どうしたらいいのか、ちょっと分からなくなっています。