かもしれないブログ

月一更新です。

久しぶりの休み。

自分が考えたこと、フレーズが、

他の人のブログだったり、本だったりにのっていて、

そもそも今自分が考えていること、思考のクセみたいなものが、

はたして自分オリジナルなのか。

そうじゃなくても、どこまでがオリジナルなのか、はたまた全然まったくもって

オリジナルではないのか。

中学の頃、陸上部にいたのですが、

その時の顧問の言葉が以下、

「お前はいつも下ばっかり向いとる。いつもうつむいとる」

時々、そういう人を見かけますが、

自分もそんな感じなのかなーと考えたりします。

聴くところによると、無為・無関心というのは

努力があってこそ出来るものであり、

例えば、先生からの耳の痛いお説教などを学生が聞き逃すというのも、

努力あってのものである。

ということらしいのですが、

だとすると、

彼ら彼女ら、自分自身。

日々うつむき生活している自分は、

一体何から身を護ろうとしているのか。

何を恐れているのか。

何を見落とそうとしているのか。

意識して、前を向こうとすると、それはそれで少し変な気もします。

でも、現実の生活として、やはり刺激が強すぎるというか、

例えばバラエティ番組なんかは、僕にとってはもうかなりの刺激でして、

あれはやばいです。


すぐチャンネル変えます。

でも、ああいう番組が作られるということは、

それを「是」とする集団があるということでしょうし。

自分に必要な刺激を取捨選択していきたいのですが、

そのためには、自分にとって「是」で、何が「否」なのか、見ないとあれですが、

でも、その気配のみで感じ取り、危険を察知するというか、

そういうシグナルをキャッチする能力がいるなぁと思うのです。

最近気になっていること。

気が付いたこと。

・師を持つことの大切さ
・師と弟子は、連綿と続く鎖のようなもの
・挨拶のタイミング
・時間的個性としての人間
・人間の中に流れる「生命」それはたぶん共通
・滋賀には廃墟が多そう
・人を思いやるというが、それ自体が傲慢というかあれではないか
・節度
・踏みとどまること
・バランス
・人生としての物語・物語としての人生
・音楽を聴くとき、次にくる音・リズムが分かるという事は、何か共通のものが作曲者と自分の中にある
・心臓の脈の速さと、音楽のリズムの相関性
・鼓動の速い、遅い生き物は、リズムの感じ方に違いがあるんじゃなかろうか


だいたいこんな感じでした。