例えばの話。
例えば、ここに不幸な人間がいたとする。
何をもって不幸というかはおいといて、
自分にとっての不幸(ふこうって書くとなんかあれだから、あれだ。つまり)
やりたくない事をいやいややっている、という状態の人間がいたとする。
やりたくない事をやるからには、やっぱり意味が欲しいわけで。
だいたいそんな意味は、とってつけたようなもんだったりする(他人から見るとなおさら)
でも、その意味を、他人は否定してはいかんと思う。
その意味のために、いやなこともやっているわけで。
ただ、不都合なのは、
それを他人にも求めてしまう事。
自分がこれをこれこれやっているのだから、おめーもやるんだよ。
と。
組織は、やはり力の強いもの、声の大きいもの、態度の大きいものが上に立ちやすいというか、
そういう人が上だと下は大変なわけだ。
人が何を思って生きているのか、何が大切なのか。
何のために働いているのか。
そういうのは、あまり語られないし、そういうのを熱く語るようなのは、
自分はちょっと苦手(まぁ、それはおいときまして)
だから、何が言いたいかというと、
自分はマネジメントできるだの、
組織をうまくもっていきたいだの、
仕事ってもんはなーと、社会に出てまだ全然なのにあれこれ熱く語ったり、
足の引っ張り合いだのなんだのかんだの、
もうすべてあれなんじゃないですか、と。
もうなんかいろいろおかしいのではないかと感じている。
そう叫ぶのです。
「俺の魂が」
寝る。