かもしれないブログ

月一更新です。

例えばの話。

例えば、ここに不幸な人間がいたとする。

何をもって不幸というかはおいといて、

自分にとっての不幸(ふこうって書くとなんかあれだから、あれだ。つまり)

やりたくない事をいやいややっている、という状態の人間がいたとする。

やりたくない事をやるからには、やっぱり意味が欲しいわけで。

だいたいそんな意味は、とってつけたようなもんだったりする(他人から見るとなおさら)

でも、その意味を、他人は否定してはいかんと思う。

その意味のために、いやなこともやっているわけで。

ただ、不都合なのは、

それを他人にも求めてしまう事。

自分がこれをこれこれやっているのだから、おめーもやるんだよ。

と。

組織は、やはり力の強いもの、声の大きいもの、態度の大きいものが上に立ちやすいというか、

そういう人が上だと下は大変なわけだ。

人が何を思って生きているのか、何が大切なのか。

何のために働いているのか。

そういうのは、あまり語られないし、そういうのを熱く語るようなのは、

自分はちょっと苦手(まぁ、それはおいときまして)

だから、何が言いたいかというと、

自分はマネジメントできるだの、

組織をうまくもっていきたいだの、

仕事ってもんはなーと、社会に出てまだ全然なのにあれこれ熱く語ったり、

足の引っ張り合いだのなんだのかんだの、

もうすべてあれなんじゃないですか、と。


もうなんかいろいろおかしいのではないかと感じている。


そう叫ぶのです。


「俺の魂が」


寝る。