10月27日。
今日は久しぶりに滋賀の方まで遠出してきた。
仕事を辞めてから、遠出もしなくなったけど、それまでは結構色々な所へ出向いていた。
金曜日に、帰宅してから東京までドライブしたこともあった。
新潟にも行ってみたりした。
本当は新潟市まで行きたかったけど、あまりに遠かったので断念して、糸魚川を越えた辺りで帰ってきた。
滋賀も色々走った。琵琶湖を一周するのなんて何回したか分からないし。舞鶴方面へ行ったり、あと勢いで鳥取の方まで行ってみたりもした。
おかげで、走行距離が3年で5万キロにもなった。
(多分、3年だったはず)
京都にもしょっちゅうドライブに行ったし、兵庫のホテルに一人で泊まりに行ったりもした。
ドライブも時々は友達と二人でだったけど、ほとんどは一人でいろいろ行った。
基本的に一人で行動するのが多い。し、特にそれでも何とも思わなかった。
前にいた会社の人から、寂しくないのか?ときかれたけど、特に寂しいなんて思わなかった。
今も別に寂しいとは思わないけど、それはきっと親元にいるからで、もっと言えば、親が生きてくれてるからで。
帰るところがある、っていう安心感があるからだと思う。
当時は、何かを必死に求めていて、それが何なのか分からなかった。自分が何を求めているのか分からなかった。家に一人でいるというのが我慢できずに、とにかく外へ外へと動いていた。
喉の渇きを癒す為に、とにかく動けるだけ動いた。
職場の人から、一度、
「見ていて、痛々しいよ」と言われた。
それは、僕の仕事のこととか、色々無理してることを見透かして、言ったんだと思う。自分でも、ほんとに辛かったし、でも無理してないと、ダメだった。走り続けなきゃ、こけてしまうのが分かっていたし、こけるのがすごく怖かった。
自分が何をしたらいいのかとか、自分には何があってるのか、それは分からないけど、とにかく日々の生活のこと、仕事のことでどんどん神経が磨り減っていた。その磨り減った神経を労る為に、休みの日は必ずどこかへでかけた。平日でも、出かけたりした。
今、当時ドライブで走った道を通ると、少し空しい気分になる。
結局、走っている間、求めているものは見つからなかった。
派遣で勤めていた会社を1年半で辞めて、父のコネで営業の仕事に就いた。
でも、営業はまったく自分に合わなかったし、何より当時既にいろんな意味でボロボロに疲れきった状態の自分に、そういう新しい環境のストレスがきつかった。
すべてにおいて、無理をしていたのかも知れない。一度こけたら、大変だと。走って走って、走りまくった。
常に、何かに追われているような感覚で、心の休まる時はあまり無かったかもしれない。
自分が無理をしているから、無理をしているのを自分でもどこかで分かっていたし、でもそうしなきゃ居れなかったから、別にそれがおかしいことだとかは思わなかった。
みんな、そうしてるんだと思ってた。
何がほんとか、何を望むのか。何をしたいのか。自分が今後どうしたいのか。それに間に合う手頃な答えが見つかって、内心ほっとしていたし、これを逃したら後が無いとも思っていた。
後に引けないように、周りに自分が今後どうするかっていう情報を流して、それで自分を追い詰めてみたりもした。
でも、ほんとは誰かに助けて欲しかったのかもしれない。
結局、そういう無理があったのと、後いろいろあって、仕事でも生活でも行き詰ってしまって、「こける」ことになる。
無理をしていたから、人もあまり寄ってこなかったし、寄せ付けないようにしていたのかもしれない。今思うと。
でも、人間関係は結構あったかもしれない。こける前までは。
こけてから、一度、すべてのことから距離をとってみた。
仕事からも、友達からも。
皮肉なことに、僕がそれまで必死になって探していたものは、こけた後に見つかった。
滋賀へ、京都へ、新潟へ。東京へ。鳥取へ。
必死に走って走って、動いて動いて。
それでも見つけられなかったもの。
手に入ったときは、すごくあっさりとしたものだった。
何だ、これだったんだ。と。
手を伸ばせば、届くところにあったし、何度かそれに手をかけてはいたけど、それは結局自分が失敗した状態、おちる所までおちた状態でないと見つからないものだった。
それを見つけてから、それが分かってから。
遠出することも無くなった。
車はよっぽどのことが無い限り市外へでることも無くなったし、駐車場にある時間が長くなった。
今は、仕事をしてないってこともあるかもしれないけど。
あの時ほどの「渇き」を感じなくなった。
こけてみれば良かったんだ。
一度こけてみることで、初めて見えることもあるんだ、と。
今日は、そういうことを考えたりした。