かもしれないブログ

月一更新です。

Pちゃんの事。ファミコンを直した事。本を沢山貰って来た事。アウトレイジビヨンドの感想。

 今日は、午前中に図書館へ行った妹からの連絡で、市立図書館で本の無料配布をしている事を知り、午後からはそちらへ向かった。3F研修室に設けられた配布場所に入ると、数人の職員さんと、数人の年配の方がおられるのが分かった。幾つか並べられたテーブルには、ジャンルごとに本が整頓して並べられていて、それぞれ「実用書」「雑誌」「文学」等と書かれたA4版の白い紙が貼られていた。
 配布は10時から16時までだそうで、僕は13時過ぎに行ったせいもあって、殆ど目ぼしい本は配布済みだったそうな。初めていったので勝手が分からなかったけれど、1冊の音楽雑誌と、辞典と、11冊の航空雑誌を持ち帰った。

 外は一日雨が降っていたけれど、凍えるような寒さではなく、どちらかというと、少し暖かかったようにも思う。15時に、ますかっちと合流。16時には外はだいぶ暗くなっていた。多分、西からやって来た分厚い雨雲が低く垂れ込めていた為だろう、日光が無かった。

 それから少しぶらぶらして、18時半ごろに帰宅。

 Pちゃん(名前はP助らしい)は、来月の9日までいるようだ。今日は、全然逃げなくて、近づいても慌てたりすることなく、こちらを見ていた。寒さに弱いらしいので、注意してあげたい。

 妹がパソコンを使いたいと言ってきたので、その間は自分の部屋に入る事が出来ず、うちは本当に狭いなと思った。居場所が無い。それで、台所でぼんやりと過ごした。

 妹がパソコンを使い終わってから、何かお返しするわと言っていたので、出来ればPちゃんが欲しいとも思ったが、それはダメだったようだ。妹よりも、うちの母がダメだと言っていて、これは無理だと悟った。

 明日から、またしばらく父と母は島根へ行って、しばらく帰ってこない。田舎とのやりとりや、その様子を聴いていると、この先どうなるのかと思わずには居られないが、いまの僕には何も出来ない。

 妹と弟は、それでもしっかりと何かに向かって進んでいて、立派だと思う。

 僕は、先週だったか先々週だったか、昔のファミコンを引っ張り出してきて、切れていたコードを直して、少し遊んだ。妹が昔一緒にやったゲームの話をして、それでやりたいと言っていたのだ。それで僕も完全に火がついて、直した。

 埃にまみれていたファミコンは、ちゃんと動いた。大したもんだ。20年前のモノがまだ動いた。以前と変わらず。変わったのは、黄ばんでしまった黄色い本体だけ。

 でも、少しやると満足して、また段ボールに入れて押入れにしまった。

 時間の流れを感じる。昨日、昔遊んだ京都での友人から連絡があった。どう対応して良いのか分からないので、まだ連絡していない。携帯電話は、その辺りがかなり無神経だな、とも思う。いつでもどこでもかけられるが、かけられた場合は、出ないという選択肢が殆ど無いのだから。出て当然、みたいな感じ。

 その辺が携帯電話の難しい所でもあるように思った。初めて携帯を持った時、高校3年の秋ごろだったけれど、「これはとんでもないモノが来たな」と思ったのだった。仲の良かった友人に携帯番号を教えると、その日のうちに携帯が一度鳴って、切れた。白い折り畳み式の携帯を開くと、そこには、友人の名前があった。ワン切り。男同士でのワン切りはそれが初めてで勿論その後は一度も無かったように思う。

 友人といつでも繋がっている。いつでも連絡のやり取りが出来る状態にある。僕たちは新しい状態に入ったのだという事だろうか。何かが始まって、何かが同時に終わった。これが無ければ長続きするだろう人間関係にも影響が出始めたのは、それから数か月後の事だっただろうか。何せ、高校3年生だったのだから、時期がそういう時期だったのかもしれない。

 携帯は、画面をイエローがグリーンの2色に変更出来て、多分音は3和音かそれぐらい。i-modeでメールをやりとり。カメラ機能は無くて、本体は丸っぽい、少し上品な形をしていた。

 多分、初めて手にした携帯は、忘れないのではないだろうか。その後、何度か機種変更したけれど、その一台は特に思い出がある。白から始まった僕の携帯は、その後黒になり、青になり、黒になり、今また白になっている。多分5年か6年ぐらい。

 今乗っている車は、7年ぐらい。

 僕はこの先どうなるのか、よく分からないけれど、携帯電話は今の奴をずっと使いたいし、次のやつも出来れば白色にしたいと思っている。

話しはかわって、

 先日流れてきたツイート。


 毎日が祭りのような感覚がある。いつもどこかで何かが起きている。毎日毎日、日替わりで出されるイベントが僕を疲れさせる。イベントも、行事も、○○の日も、トレンドも、どんどん変わっていく。でも、それが悪いというのはまた違う話なのだろうか。まずは、僕が地に足を付ける事。自分の生活を大切にする事。

 変化を付けないと、空気が濁ってしまって、息苦しくなる。だから緩急が必要。

 トレンドが変わっていったとしても、僕はずっとこうやって色々な事をあーでもないこーでもないと考えていくんだろうか。考えてる内容も、そのパターンも昔と一緒。こちとら30年自分やってるんでさぁ、すまんね。って感じ。


 僕は内田樹さんのブログが好きで、時々読んでいる。10月5日のブログにあった言葉。
 

「自分が守らなければならないものがいる」人間は強い。自分の能力の受益者が自分ひとりである人間は弱い。
遭難した場合でも、家で妻子が待っているという人は、独身者よりも生存確率が高いことが知られています。そういうものなんです。
集団もそうです。メンバーの中の「弱い個体」を守るために制度設計されている集団は強い。「強者連合」集団は強いように思えますが、メンバー資格のない「弱い個体」を摘発して、それを叩き出す作業に夢中になっているうちに、集団そのものが痩せ細ってしまう。


 先日、『アウトレイジビヨンド』を観てきた。この言葉通りの事があった。映画と言うのはその国の本質的な問題を浮き彫りにしてしまう、とは、これまた内田樹さんの言葉だっただろうか。

 面白かった。でも、僕としては前作の方が見応えがあったかもしれない。今回のテンポの速さも良いけれど。でも、今の世の中の問題点が映し出されているように思えた。

 

 生活していると、いろいろなイベントがある。行事がある。その一つ一つに一喜一憂し、疲れる。すごいイベントだと思っていた高校の卒業式も、結局はあっけないものだった。頭の中でいろいろな事をイメージして、それでものすごく怖い感じの塊ができてしまうが、実際はそうでもなかったりするのだ。のど元過ぎれば何とやら。僕は、高校を卒業したのち、今の年齢をこの土地で過ごすとは思っていなかった。でも、そうなるのが自然だった。

 そういうものなのかもしれない。

 来るぞ来るぞ!と脅しているのは、他でもない自分自身だったのだ。でも、実際に来るイベントは、また違ったものだから、拍子抜けしたり、時間が経つと、なーんだ、と言う事がある。

 そんな事だらけ、なのかもしれない。