かもしれないブログ

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『田舎教師』

田山花袋の『田舎教師』を読む。

以下、若干のネタばれ有り。

この時代に書かれた小説は、風景描写が多い気がする。

この『田舎教師』では、里の様子、幾つかの村の様子が事細かに書かれている。

野にある草木の名前、溝によどむ水の錆を含んだ赤い色、そういう事が事細かに、

そこまで書く必要があるのだろうか、と思わずにはおれない。

それが分かりやすく出ているのが、物語終盤で主人公が花の名を手帳に書き込むところなのだけど、

利根川の土手にはさまざまの花があった。ある日清三は関さんと大越から発戸までの間を歩いた。清三は一々花の名を手帳につけた。−みつまた、たらびこ、じごくのかまのふた、ほとけのざ、すずめのえんどう、からすのえんどう、のみのふすま、すみれ、たれつぼすみれ、さんしきすみれ、げんげ、たんぽぽ、いぬがらし、こけりんどう、はこべ、あかじくはこべ、かきどうし、さぎごけ、ふき、なずな、ながばぐさ、しゃくなげ、つばき、こごめざくら、も、ひぼけ、ひなぎく、へびいちご、おにたびらこ、ははこ、きつねのぼたん、そらまめ。

最後に、そらまめ。をあてる所が、著者の人柄を表しているような、

何ともいえない可愛らしい雰囲気が出ていて、いいなぁと思う。

著者の人柄は知らないのだけれど。


それにしても、この草花の数、

東京フレンドパークのあの走りながら答える問題に出てきそうなぐらいの量。

ここまで羅列されている訳ではないけれど、これくらい凄い。

名前に花が入っているくらいだから、やっぱりそれだけの愛情、関心があったのだろうと思う。

そういう感じで、風景が細かく丁寧に書き込まれていて、人物がそこにやってくるような印象がある。

人物の周りに風景が広がるのではなくて、風景の中に、どこかから人物がやってきて、物語(というよりも生活)が始まるような感じ。

清三は、周りの同僚を見て焦りもあって、色々と思いながら生活を続けていって、最終的には短い生涯となってしまうのだけれど、それだけにとどまらない終わり方というか、そういうのが良いなぁと思った。
壮絶な死を遂げるという訳では無くて、ひっそりと幕を下ろすのだけど、最後に「読んでよかったな」と思える。

昭和27年が初版で、僕が買ったのは、107刷とあったのだけど、なるほどなぁという思いがした。