かもしれないブログ

月一更新です。

不安定と安定。

最近読んでいる本。

白洲正子自伝 (新潮文庫)

白洲正子自伝 (新潮文庫)

日本人の足を速くする (新潮新書)

日本人の足を速くする (新潮新書)



本を読んでいて思う事は、どんな有名な人も安定した人生を歩んだわけではなさそうだという事。

そういう人が書いた本を無意識に(第六感で)選んでいるのかもしれないけれど。

あ、でも今自分が読んでいる本に出てくる人たちは、

鎌倉時代だったり、明治時代だったりするから、必然的に不安定なのかもしれない。

自分はいま、そうやって本を読んでいるのだけれど、

どこか、『本を読んでいて良いのだろうか』という感じがする。

これは、でもいつの時もそうかもしれない。

『本を読んでいて良いのだろうか』

『配達の仕事をしていて良いのだろうか』

『身体がだるくて良いのだろうか』

『こんな毎日で良いのだろうか』

その不安を原動力にして何かをするのも有るのかもしれないけれど。

結局、これだ!これが進む道だ!と確信できたことは、

これまであまり無いように思うし、そのように確信した事は

ことごとく失敗してきた。

何に失敗したのかは忘れてしまったけれど、

確信した事を覚えていて、いま、その内のどれも行っていないという事は、

そういう事なのだろうと思う。

年を取るという事は、

単に自分の年齢が機械的に増していくだけでなく、

その視点も変わってしまう。

街中で若者を見ると羨ましく思う。

少し前は何とも思わなかった。それが同世代だったからだ。

自分達の世代が同時に年をとっていく。

他の人は何を考えているのだろう。

就活であくせくした日々の事は、もう昔の記憶なのだろうか。

やはり思うのは、経験が欲しいという事で、

何をするにも、結局経験がものをいいそうだという事なのだけれど、

どの経験が有効で無効か分からない。

無意味だと思っていたことが後に意味を持つこともあるようだ。

とにかく、経験。

経験がほしい。

何の経験か。

その経験を積んでいる間、同時に生活もしていく訳だけれど。

同世代で、既に家庭を構えている人は、どう感じているのだろう。

自分がいま考えている事は、有閑人の言だと思うのだろうか。

それとも、みなやはり同じような感じなのだろうか。

土地柄、自分で家を構える人はいないし(自分の同世代では)

代々の土地を受け継ぐ形で生活しているのだから、

自分もそこまで考える必要はないのかもしれない。

本を読める間は、本を読んでいたい。

それが、何所につながっているのかは分からないけれど、

目の前に本があれば、読まずにはおれない(ような本を選んで買ってきているから?)。

2月が迫ってきている。

色々考える。

確信を持てた方が良いのか、そうでないのか。

そうでない状態で、進むのが、

人間なのかなぁと思った。

そんな感じです。

いまは、すごく動きたい、動き廻りたいという感じなのですが、

昨年の夏なんかは、時間があれば寝ていたい、

できればずっと寝ていたいという風な考えで、

それを妹に言ったところ、そんな事を考えている人がいるなんて、

と驚かれたのですが、

今は、まったくお互い逆になってしまっているので

人間は、案外そういうものなのかもしれません。