かもしれないブログ

月一更新です。

そもそもの前提がおかしい。

自分の生活の成り立ちを見ると、

いくつもの条件の上に成り立っているのだけど、

普段はそのことには気が付かないでいる。

例えば、指先を怪我しただけで、生活の風景は一変するけども

それだって、普段は条件の一つとして勘定に入れていない。

崩れた時にだけ、そういった条件は顔を出す。

それを知らずに、行く先を不安に思う。

未来が不確かだと思う。

考えてみれば、これから先、失うものの方が多いように感じてしまう。

でも、それも考え様かもしれない。

自分は、あまり「ものは考え様」という考え方が好きではないけれど、

事実そういった面もあったりする。

人を集めるのに奇抜なイベントを行ったり、

談志がこう言っただの、ああいう人物だっただの。

談志is dead なのだ。

自分には今の所あまりピンと来ないし、これからも来ないように思う。

人が居なくなるのは悲しいけれども、それは有名無名問わず同じものであるはずであって、

談志にのみエピソードが豊富にあったわけでは無て、

只それがテレビとかラジオのメディアに晒されていないだけで、

誰にでもそういったエピソードは等しく在るのだと思う。

自分は自分としてこれまで生きてきたように、これからも生きていかなきゃならないし、

その前提として色々なものが自分の足元を支えてくれている、

雨宿りをする場所になってくれている。

自分の価値観がこれまでと同様にずっと続くかどうかは分からないし、

考え方も同様。

ただ、学ぶ前と後で、人が変っている・別人になっている・新しい価値観が構築される

というのが一つの目安だとするならば、

今の仕事場でのそれは、ある程度成功だったのかもしれない。

確かなものは何もない世の中で、一つ確かなのは、その不確かさであって、

更に、この先の展開を正確に予想できる人間、

明日どこで何が起きるか知っている人間は、

今の所誰も居ないという事。

そこに向かって等しく進んでいくという事。

他人の成功体験からは何も学べない。

人には色々なタイプがあるけれども、

自分はどうも、一人で黙々と山を登って、

気が付いたら違う山だった。

でも、それでも新しい景色が見えた。

そういうタイプの人間な気がする。

今日も支離滅裂な文章だった。