かもしれないブログ

月一更新です。

スカイクロラを観た。

先日、スカイクロラをDVDで観た。

押井守監督作品だったかと思う。

アニメに関して知識が無いので、何とも言えないけれども、自分なりに考えた事を記しておく。

以下、作品内容に触れる部分があるので、まだ観ていない人はここから先は

読まない方が良いかもしれません。

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まず、出てくる主人公。

主人公は、ある基地へ飛行機に載ってやってくる。

が、基地には人が少ない。

パイロットが少ない。

主人公は、新しいチーム(?)部隊(?)に配属される。

いままで何所に所属していたのか、と新しい仲間に聞かれるが

「忘れた」と言う。

そんな過去の事は、この作品に出てくる人はあまり関心が無いようだった。

本当は、強烈な過去を持ち合わせていると思われる人物も出てくるが、皆そういう事は普段は伏せている。

仲間は、本当に人数が少ない。

基地の広さの割に、パイロットが少ないように思うのだ(部屋がすごく広く感じられた)

敵と戦うのだが、主人公はなかなかの腕前。

初めての戦闘で敵機を軽く撃ち落とす。

しかし、主人公はあっけらかんとしていた。

仕事だから、だそうだ。

敵機と自軍。

敵機の中には、絶対に倒せない機がある。

それに狙われたら最後、生きては帰ってこれないものだそうだ。

仲間の中には、その機を確認しに行くと言い残して、帰ってこなかった者も居た。

終わらない戦争。

終わってはいけない戦争。

平和を維持するための、作られた戦争。

終わってはいけない=決着がついてはいけない。

その為に必要とされたのが、絶対に倒せない機体。

メンバーの入れ替わりが激しい仲間。

しかし、帰ってこなかった者が居たとしても、淡々と日々は過ぎていく。

何事も無かったかのように、新しいパイロトが補充される。

そして、一人、また一人居なくなっては加わり、居なくなっては加わり。

主人公は、物語の終盤で、その絶対に倒せない機体と一戦を交える事になる。

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物語のストーリーはざっとこんな感じ。

これは、何かと似ていないだろうか。

そう、これは僕の生活そのものではなかったか。

つまり、メンバーの入れ替わりが激しい仲間とは、つまりメンバーの入れ替わりの激しい職場であり、

メンバーの少ない仲間とは、つまりメンバーの少ない職場であり、

出てくるメンバーが過去についての記憶が無いのは、つまり過去の経歴がほとんど関係ない職場であり、

ノウハウが蓄積されない事は、つまりノウハウが蓄積されていない職場であり、

絶対に倒せない機体とは、つまり絶対に解決出来ない職場の問題である。

絶対に解決出来ない職場の問題は、それに狙われたら最後、生きて帰る事は出来ない。

そこ(職場)に残る事が出来なくなる。

その問題は、解決されてはいけない問題であるが故に、それに近づこうとする者の力を奪う。

悧巧なものは者は、それを十分に理解しており、それには極力近寄ろうとはしない。

が、向こうから狙われて撃墜される。

中には、その問題に果敢に取り組もうとした者も居たが、そういう者は必ず撃墜される。

メンバーの入れ替わりが激しい為、その問題に対するノウハウは伝わっていない。

何故なら、新しいメンバーが加わる時は、すなわち前任者が居なくなった後だからである。

その問題に対して、どのように臨めば良いのか、前任者はどういう人間だったのか。

何も分からないのである。

耳にできるのは、せいぜい前任者の名前と、そしてその人物はもう居ないという事実。

そして丸ごと引き継がれたその問題である。

問題がある時、その問題が何故解決出来ないのか。

それを知るには良い方法があり、それはその問題がある事によって一体誰が得をしているのか

という事を考えれば良いのであるが、自分の場合はどうだろうか。

その問題が解決されないで得をしているのは、

つまり。

だから、もしその問題が解決されてしまえば、今度は自分がその問題になるというか

FF10でいうシンみたいなものではないだろうか。

つまり、そういう事ではないだろうか。

物語の終盤で、主人公は果敢にしかし冷静に淡々と、その機体と決戦を挑むが・・・。

スカイクロラは、何かの賞も受賞したとの事らしいが、

その物語の構図は、

自分の今の生活基盤

そのものだったのではないだろうか。

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スカイクロラフェルマーの最終定理、モジュラー形式

絶対に倒せない敵、絶対に証明できない定理(しかしフェルマーは証明したというが)、三次元では表せない

また、脳内にイメージも出来ないモジュラー形式。

そして、自分の職場。

フェルマーの最終定理は、今サイモン・シンの本を読んでいて、まだ読み終えていないので

この定理が最後どのような結末を迎えるのか証明できるのか、できていないのか

まだ読み進めないと分かりません。

モジュラー形式は、そのサイモン・シンの中に出てきた言葉でした。

自分はいま、どうやらこういう類のものが目の前にあるらしい。

果たして、どうなるのだろう。