かもしれないブログ

月一更新です。

夏と夕日と。

今日は小浜へ配達に行ってきた。

帰りし、西津方面を通り、梅街道を通った。

夕暮れ時だった。

昔のその時刻もこんなだったっけか。

と思い出した。

自分の年齢、

周りの風景。

配達を始めてから色々な人に出会った。

市内でもこれだけの人が生活しているのか、

と知って驚いた。

それまでの自分の世界は、

ある意味閉じていたのだった。

今も、また違う意味では閉じているかもしれない。

閉じている、ならば

開いた先には新しい世界があるんじゃないだろうか。

とも思える。

世の中には色々な人がいて、色々な生き方をしている。

そういう事を知った。

頭の中では分かっていたのだけど、


それはあくまで頭の中だったのだ。


自分のクセとして、

勝手に自分で解釈して考えて、先へ進んでしまう。

という事があり、

それに加えて、自分の考え方がマイナス方向と言うか、

積極性に欠ける部分があり、

更に、

悲観的・社交性に富まない、

という要素がからまりあっている。


そればかりではないのだけど、

どれか一つが働き出すと、


他の要素もまた動きだし、


よくない方向へ進んでしまう。


駒を進めてしまう。


結果、それが良くない方向なのか


どうなのか、は分からない。

人生万事塞翁が馬、とは便利な言葉だけど。



いろいろあって、今此処にいる。


でも、それもいつまで此処にいれるのか、


いつまで生きれるのか、も分からないのだ。


『お前は、全部自分で判断している』


『悪い方、悪い方へ考えている』


『本当は出来るのに、出来ないと決めてしまっている』


『悩むより、考える。立ち止まらずに、動きながら考えるんだ』


『何時何があるか分からない。明日死ぬかもしれない。先を不安がってもしょうがないんだ』


『視野が狭い』



全部、今の職場で言われたことだ。



全てが心に響くものばかり。


あぁ、何で自分だけ。

何で自分ばっかり。

損な役なんだ。


気が付くと、


自己犠牲というか、そんないいもんじゃないけど、


自分を押し殺してしまって、


苦しくなる。



良い自分、良く思われたい自分。


それは、本来の自分ではないから、


息苦しくなる。


良く思われたい。


その思いだけでも吹っ切れたら


どれだけ楽だろう。



正直、ここから先どうしたら良いのか分からないけれども、


只言えることは、


自分の色、自分のカラーを出していくしかない。


という事だ。


何所で暮らす?誰と?


どんな形で?


それは分からない。


分かっているのは、



自分のカラーを出すこと。



それしか、ない。



今、この仕事がある、


という事は、何か学べる。


此処で何か学べる、という事なんだろう。



そして、そこから先。


何があるのか。


何が出来るのか。


何が出来ないのか。



今日、夕日を見ていたら、


少し心細くなったが、



それはつまり、


まだ何かある。


何かする事がある。


そういう事なんだと思った。