かもしれないブログ

月一更新です。

ラジオの感想、あと、市内で同級生を見たこと。

こないだ、

ラジオを聴いていて、思わず別の局に切り替えた。

それは、そのパーソナリティの「言葉」に自分の中のなにかが反応して、さらに「これは今は聴かないほうがいい」と判断した。

話題は、なんの事はない普通の日常会話って感じだったけど、そこに少し「棘」みたいなものを感じた。

もっと言うと、その人の使う言葉自体に「棘」があった。

「好きじゃない」という言葉は、「嫌い」という言葉よりも棘が無いのかもしれないけど、やっぱり棘がある。

ラジオは、音だけで、声だけで伝えるものだから、やっぱりそういう小さいことがすごく大事だと思った。

市内で、

同級生を見たことは自分の中で想像以上にインパクトがあった。

夢にも出てきた気がする。

10年前、5年前の「ものさし」が通用しなくなったんだと感じた。

それが堪らなく悔しい。

何で。という思いが強くある。

じゃあ、今の「ものさし」も5年後、10年後には通用しなくなっているのか。

通用しなくなっているかもしれないけど、それはおそらく底辺が広がることでしかないかもしれない。

どう生きるか。ってことが自分を悩ませる。

何をして食べていくかって事。

今のこの土地を離れることを考えただけで、気持ちがぐしゃぐしゃになりそうだ。

考えたくも無い。

引き裂かれる思いとは、このことを言うのかもしれない。

この土地を離れたくない。

執着は良くないと言われるが、愛着。

これは愛着だ。

この土地を離れることは、絶対に避けたい。

避けたい。