寝顔しか観てない
朝起きると、既に子供が起きている。起きておっぱいを飲んでいる。
その間に僕はお風呂に入り、朝食を摂り、出勤準備をして出かける。
仕事から帰る。
子供はおっぱいを飲んでいる。
僕はその間に晩御飯を食べる。
子供はもう寝そうなため、あまり話せない。
覚醒させることもない。
今子供は寝ている。
僕が明日起きたら、子供はやっぱりおっぱいを飲んでいるだろう。
奥さんと子供と話す時間がほとんどない。
他の家はどうなんだろう。
僕もこうやって育ったのかと考える。
僕が幼いころ、母は仕事から帰った父に「はい!」と言って僕を父に預けていたらしい。じゃあ父はいつご飯を食べていたんだ?
食べてから帰っていた?
今度母に聞いてみよう。
台湾映画『叱咤風雲』公開二週目で1500万台湾ドル突破!: アジアンパラダイス
台湾映画『叱咤風雲』をレンタルで観た。これは映画館で観るべきものかもしれない。初期の「Fast and Furious」を髣髴とさせながら、あくまでアジア映画。出てくる車はほとんどが日本車。ツタヤのポップには新旧86が夢の競演みたいなことが書いてあったけど、一緒に走ることは無かった。山場がいくつもあり、何より勢いがある。
途中で若干ダレる部分はあったけど、つまらなくは無かった。
脚本がやや一本調子ではあった。続編もあるようで楽しみ。
宇多田ヒカル『BADモード』を車の中で聴いている。なんなんだコレは!?
シンエヴァの曲も入っているけど、もはやそれすら置いてけぼりになりそうなくらい進化していた。やばい。
明日から仕事復帰
三月から二カ月間、育児休暇を取っていた。明日から復帰だ。
緊張する。二か月間は、長いようで終わってみればあっという間だったような気もする。でも体感的な長さは半年くらいある。
浦島太郎状態だ。久しぶりに写真を撮ったら自分も年相応の外見になってきたなあと感じた。
若い人は勢いがある。
今の僕にはそれが無い。
でも勢いが無くなったことで、いろいろとケガをしにくくなったのはあるかもしれない。
今日は借りていた2本の弓を返却してきた。
これまでは早く次の段にいきたいと考えていたけれど、50年かけて進んでもいいかもしれない。
春から専門学校に通うことになった。先日学生証が届いた。
映画館とか飲食店とかで学割が使える。
楽しみ。
墓の掃除、ラーメン、稽古など
今日は母方の祖母の家に行って簡単な家の掃除と墓掃除をしてきた。
天気が良く、少し暑いくらいだった。
そのあと、道の駅でラーメンを食べた。
えごまラーメンというのを売り出し中で、それを頼んだ。
前にも食べたことがあったような気もしたけど、記憶が曖昧だったので注文してみた。
ラーメンを食べていると唐揚げも食べたくなり、それも追加で注文した。
えごまラーメンを食べると、前に食べたことを思い出した。
そして母から「前にも同じパターンだったんじゃない?」と言われた。
そう。前回もえごまラーメンを注文して、時間差で唐揚げを追加したんだった。
すごい安定感。
前と同じ味でした。唐揚げは味が付いていなくて、ソースをかけたけど、前回もソースをかけて食べていたと思う。
帰ってから時間があったので道場で稽古。
調子が良い時もあれば悪い時もある。
不思議な好調も不調もある。
不思議な不調が続くとスランプになる。
そこから抜け出すのがとても難しく、またやっていることが楽しくなくなる。
「わかった」と思うとわからなくなり、「わからない」と思い何も考えずにやるとわかることもある。
今は比較的持ち直してきたというか、きちんと教室に通って一人の先生から習うことを大事にすることで、欠かしてはいけない部分をなんとなくだけれどつかむことができてきているように思う。
前回、不思議な不調に数年はまり込んだときは、その経過としては、直したいところがあり、それに対してのアドバイスがあり、またその時は昇段したいという気持ちが強くあり、学べるものは何でも学ぼうという、貪欲さがあった。
それはよかったのだけれど、不特定多数の「先生」からアドバイスを受けることで、その一つ一つを身に着けることを意識していく過程で、一度に一つのことを直していけばよかったのだが、一度に二つも三つも直そうとしてバランスがおかしくなり、結果的に「前の方が良かった」という流れになった。
なんでもそうだと思うけれど、物事は後戻りができない。
一つ試してダメだったから元に戻そうと思っても、後戻りは容易ではない。
ほとんど不可能に近い。仮に同じ地点に戻るにしても、同じ道を通って帰ることはできないと思う。
前におられた先生から「いろいろな人に聞くよりも、一人の人から学んだ方がいいよ」と話されたことがあった。その時は「はい、そうですね」と軽く返事をしていたけれど、その後にこのような流れで長期の不調になった。
身体を使っての稽古は、下手をするとケガをすることもあるけれど、ケガをしたとしてもその責任はだれにも取れない。
いろいろ試行錯誤する中で、苦しい時間を過ごした。何が正しく、何が正しくないのか。スポーツについての本も買って読んでみた。
参考にしたのは、野村克也監督や和田毅投手、青木翔氏、吉井理人氏などの著書。
僕は野球は全く分からないけれど、物事を進める中で大事になるところは共通している部分があり、とても良かった。
スランプに陥った選手がどのように復活したのか。それを知りたかった。
どのような選手にも悩む時期があり、また人の動作はとても繊細で、少しの変化で全体が変化してしまうことや、一旦取り入れてしまったものは、捨てることが容易ではないこと。教えること、教えられることについての覚悟のようなものが必要だと書いてあるものもあった。
何かを受けるということは、それについてのリスクまで引き受けることだ。
稽古場では、また違う先生からは「悩んでるときに、いろんな手が差し伸べられると思うけど、それは全部藁。溺れている時に掴むのはすべて藁だと思った方がいい。いろんな人がいろんなアドバイスをくれるかもしれないけれど、それをそのまま受け取るんではなくて、捨て去る勇気も必要。その場では聞いておくけど、それを取り入れるかどうかは考えた方がいい」と話された。
それは、僕が苦しみながら試行錯誤していた時に出会った話。
今日は不思議な好調の日だった。外してはいけないかなというところを押さえながら動作し、結果は良かった。同じようにしているつもりでも全くダメな日もある。
そういう日は、取り返そうとしてもどんどん沼にはまっていく感じで、何がおかしいのかわからず、体力がなくなり、思ったように動けなくなるところまでいくこともある。
不調な時は、スパッと諦めることも大事なのかもしれない。稽古場にいない時にㇷと思い付いて、これかな?っていうのが良い時もある。
今日は稽古場でざわざわ感があり、早めに切り上げてきた。
ざわざわ感がある時は、早く切り上げるに限る。
稽古場で起こることは全て正しい(ケガをしない場合を除く)と決めてやっている。
心や体にケガを負いそうなとき、負わせそうな気配があるときは、その場にいること自体が正しくない場合がある。
一時期は昇段が目標だったし、今もそれは変わらないけれど、それに捉われることで何かを失っていないか。そこに注意しながら、やっていきたい。