かもしれないブログ

月一更新です。

最近考えている事

今年に入って、いろいろな人といろいろな話をする機会があった。
その中で分かったのは、自分は「正しい話」を聞いているとしんどくなってしまうという事だった。
世の中にはいろんな問題点があって、それをあげつらっての正しい話や、
これこれについてどう思うか、という事を聞かれた時に、真正面からボールを投げ返されるように
正しい答え、隙のない回答がくると息苦しくなってくる。
これ、実は自分もよくしがちな事だなぁと思った。
人に何かを聞かれた時に、それに直球で返す。ような事をよくしている。
「マジレス」みたいな感じとはちょっと違うような。
正しいことなんだから、大丈夫でしょう!ほら、これ正しいでしょう!
というような事に対して僕は息苦しさを感じるようだ。
確かにそのようにして出される答は、確かに正しい場合が多いのだ。
悲しいくらいに正しすぎるのだ。
この感覚が、僕一人のものなのか、どうなのかは分からないけれど。
どこから見ても非の打ちどころのない、正しい答と言うのが世の中には存在するけれど、
でも、それは「それを言ってはお終い」になるような、
会話のボールをとめてしまうような言葉。
僕は、多分、一発ですべてを解決するような答を求めているのでは無いのだと思う。
どういう訳だか分からないけれど、ボールを投げ合う事で、少しずつ粘土が捏ね上げられていくような会話、
そういうものを求めているんじゃないかと思う。
ババーン!と答えを出すのは、多分簡単なのだ。
「こうすれば良いじゃん」というような事から、「私はすべて分かってます」みたいな
「生きる事は楽しいです」みたいな、いやそれは全然悪いことではないのだけれど、
でもそれを言われてしまっては、こちらの立つ瀬が無いじゃないの、みたいな事。

そうやって、物事をスパッと割り切れる人もいるのだろうけれど、僕は残念ながら、
ねちねちと考えて考えて、考え続けてしまうタイプ。
そして、なんでこんなに考えるのかなと思ったら、
僕は考える事自体が、あるいは相手と色々あーでもないこーでもない、とボールと投げ続ける事自体が
好きなんじゃないかなと思ったのだった。

最近読もうと思っている本。

9条どうでしょう (ちくま文庫)

9条どうでしょう (ちくま文庫)

はぁ、とため息が出るほど面白い本。

これからこの先何がどうなるのか、さっぱり分からないけれど、
とにかくその時その時で出来る事をやっていくしかないと感じてる。
何所に居ても、自分の特徴は出てしまう。

あと、3月に海外に行ったのですが、僕はやはりビバじぶんち、自分の家、もっと言うと、自分の部屋大好き人間に戻ってしまったようであります。

ある程度時間が出来たら、荷物の整理と、本棚の用意と、自分のスペースの確保と、
そして、映画を観に行きたいと思っています。