靴を買いました。
最近靴を買いました。
スニーカーです。
前に履いていたやつは、右足の右側の部分に長さ5センチほどの穴が開きまして、
更に、靴底もすり減り、固いゴムの部分はもうほとんど無くなっておりました。
それで新しい靴にしたのですが、
最近足が痛いのです。
足と言っても、殆ど腰に近い、骨盤といいますか、その辺に違和感があります。
そして、足の付け根にも違和感。
最初は、夏の疲れがこんなところに?
と思っていたのですが、
もしかしたら、新しい靴が原因かもしれません。
これまで履いていた靴は、良くも悪くも自分に一番最適な靴底になっており、
(靴底が均等には擦り減っておりませんでした)
人馬一体、否
人靴一体になっていたのだと思います。
そこにきて、靴底真っ平らなものを履くようになったのですから
身体がそれに適応できてないのでしょう。
しばらく様子見です。
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ここが良い、あそこがダメだ。
いろんな作品、いろんな文化、人。
それに対し、様々な人が様々な評価を下す。
評価と批評が、厳密にどれだけの違いがあるのか、分からないけれども、
当事者意識というか、
その人の身になって考える
という事が難しい。
自分に苦手な事があり、
自分に似たタイプの人間を見ると、「あぁ、もう少しここを直せば楽だろうになぁ」
と思って、ついつい余計な事をしてしまったり、
いらぬ心配をしてしまう。
自分の中には「負けたくない!」という気持ちが常にどこかに凝り固まっていて、
それが事あるごとに顔をのぞかせる。
批判には敏感で、自分の身を護るのに必死。
それは、数年前と比べるとだいぶマシにはなったと思うけれど、
やはりそれはまだ残っている。
身がヒリヒリするような感覚、というか自覚症状としてはそんな感じだろうか。
自分よりも若くて、そしてそういう「感じ」の人を見ると、
「あぁ、もっと肩の力を抜いて、楽に。周囲となかよく出来れば、だいぶ楽だろうになぁ」
と思ってしまうのだ。
と言っても、何が出来るわけでもないから、あれなのだけど。
でも、人が他人の身になって考える、という事は可能なのだろうか。
それこそ傲慢、というものじゃないの。
高みにいて、なんとかかんとか言葉はいくらでもありますが、その人の身になってみたら、だいたい言葉がないのです。いったんそこまで行って、なんとかして言葉をみつけるというのが批評なのです。
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そういうところを経験してから、批評をはじめるということ、経験しないうちに批評的言葉が口に出てしまうというのとは、
瑣細なことから天地雲泥の相違になって行きます。
これは小林秀雄の言葉なのです。
『人間の建設』という本にあった言葉です。