コンビニへ行くときに。
世の中にはたくさんのコンビニがある。
近所、自分の生活圏の中にたくさんのコンビニがある。
コンビニに行きたいとき、どこでもいいかというと、そうでもない。
だいたい、決まっている。
地域によって、違うけどだいたい2つあるいは3つ。
50キロ離れた街で行く店も含めて、3つだから、かなり少ないほうかもしれない。
そこでは、だいたい顔なじみの店員さんがいる。
もう結構長いと思う。
3つの中には、そこの店長さんがなんかいいなぁと思って通うようになったコンビニもある。
いつものお店の、いつもの店員さん。
いつもいる店員さん。
すごい安心感がある。
行くたびに、店員さんが変わっていると、
さみしくなる。
そういうお店には、僕は行かない。
たぶん。
最初は、なんか、あわないなぁと感じる店員さんも、
何度か行くうちに、あうような感じがする時もあるから、
あれだ。
妙に、馴れ馴れしかったり、あとカードを勧められたりすると、
ちょっとあれだけど。
カードなんかは、
もう行くたびに勧められる。
もういい加減覚えてほしい。
僕は、僕の顔をしている人間は、
カードは必要としていません、と。
逆に、
カードを勧められなかったとき(今までで一度しかないけれど)なんかは、もう
なんか嬉しくなった。
やっと、覚えれもらえたのだと。
カードをまったく勧められなくなったら、
もしかしたら、
もしかしたら、
自分からカードを欲するかもしれない。
もしかしたら、だけど。
これは、
どこでかで読んだものの書き写し、
かもしれないけれど、
日々、接する人が変わるような生活、
定期的に、周囲の人間が変わるような生活では、
僕は、きっと僕を安定してとらえることが出来なくなるだろうな、と思う。
この店に行くと、誰がいる。
このおうちには、誰が住んでいる。
そういう固定されたものがあるから、
その間にいる人間、として僕は僕を認識できている気がする。
だから、その周りの人間がごそっと定期的に入れ替わると、
じゃあ、僕は一体、誰なんだ、
となりそうだ。
実際は、わからないけど。
当たり前のことだけれど、
それぞれの人に、それぞれの生活がある。
それって、すごいことだよな、
と思った。